はじめまして。1年のいとうと申します。
2014年10月19日、秋晴れの下、渋谷巡検を行いました。
ナビゲーターは浪人時代を経験した1年生4名。
今回は初めて1年生がナビゲーターを務める巡検ということでどうなるか心配でしたが、前夜は準備の疲れのせいか、ぐっすり眠れました。
さて、皆様を地理ワールドへご案内しましょう。
京王線笹塚駅からスタートです。
今回のテーマは、「谷」です。
なぜ集合場所が笹塚なのか。
それは笹塚が渋谷区だからにほかならないのですが、
「渋谷」という大都会が谷底にあること、そして、都市化するにつれて変わっていった風景と変わらない地形を感じ、想像してほしかったからなのです。
では、巡検ポイントを順に見ていきましょう。
笹塚駅のすぐ南側に緑化された歩行者専用の道があります。
これが玉川上水の暗渠です。
| 笹塚駅前の遊歩道(下見時) |
ご存知の方も多いと思いますが、玉川上水というのは、1653年に老中松平信綱が総奉行、伊奈忠治を水道奉行として、庄右衛門・清右衛門兄弟によって着工し、わずか8か月で多摩川の羽村取水口から四谷大木戸までを完成させた、上水道です。今では上水としては使われていませんが、暗渠化された遊歩道などは東京都水道局が管理しています。
東京の上水・用水は江戸時代に多くつくられましたが、この上水・用水は、多くが川とは違い台地(武蔵野台地)の上にあります。
これは、水を安定的に遠くに、広く運ぼうとしてのことです。
今では使用されておらず、区部のほとんどの場所で暗渠化されていますが、一部で開渠となっています。笹塚駅の南の地域では世田谷区との区境まで、地元住民の意向により開渠となり、水の流れが復活しています。
| いきなり現る東京都水道局の印(下見時) |
| 笹塚駅近くの玉川上水 |
| 玉川上水開渠区間(下見時) |
玉川上水沿いに少し歩くと、すぐ暗渠になってしまいますが、ここは玉川上水と三田上水の分岐点となっています。三田上水も江戸幕府によってつくられ、明治時代には「ヱビスビール(恵比寿麦酒)」の用水としても使われました。
| 玉川上水と三田用水の分岐点(下見時) |
| 玉川上水跡の遊歩道を歩く |
さらに玉川上水跡を歩いていくと、大山町という地域に入っていきます。
大山町は、明治時代には木戸孝允や青木周蔵といった有力者が土地を所有し、大正時代には、地主の鈴木善助が自然豊かなこの地域の一部を「大山園」として開放しました。このため、開発は遅れました。大正も後半になると、徐々に開発され、「大山園」や徳川家が関係していた土地は「徳川山」という名で分譲されるようになりました。「大山園」の中で最後に残った区画は、豊かな林がある庭の豪邸として、戦後、分譲業者社長や貿易商人などが居住しました。
上水跡の緑道には、緑道に直交して橋が保存・復元されており、かつての水路に想いを馳せることができます。
相生橋は、大正時代の橋の親柱が遺されています。
| 相生橋。大正時代の親柱が遺る(下見時) |
| 相生橋にて |
玉川上水はほぼ分水嶺を流れていましたが、ここからは 宇田川流域へと下っていきます。
このスリバチ状の地形は狼谷と呼ばれ、大都会渋谷の谷をつくり出した川のひとつである宇田川の源流となっています。
独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)の敷地内から湧水による池を見ることができます。今回は特別に許可をいただき、池と暗渠になるちょっと手前の「宇田川」を見せていただきました。NITEの職員の方、ありがとうございました。
| 狼谷の池(下見時) |
一度台地に上がると、狼谷と台地の間にある「代々幡斎場」が見えてきます。
ここは火葬場が併設されている、民間の総合斎場です。この斎場は歴史が古く、1664年にこの地に火葬場が千駄ヶ谷から移ってきて、明治時代に現在の運営会社が吸収し、現在に至っています。
再び、谷を下って、暗渠化され、下水幹線となった宇田川の跡を沿って歩きます。
このあたりも高級住宅街が続きます。
谷地形の住宅街にしばしば見られるY字路の宝庫です。
代々木上原駅前の児童公園から続く細い曲がりくねった道も暗渠であるようです。
ひたすら暗渠を進みます。
「川が見える……!!!」が合言葉です。
| 見える人には川が見える!? |
さて、代々木八幡駅の近く、山手通り前に代々木八幡宮があります。
ここは先ほどの谷とは違い、台地の上です。正確にいえば、武蔵野台地の淀橋台の幡ヶ谷台地の先端に位置します。台地の際に神社が建っているということはよくあります。湯島天神も鶴岡八幡宮もちょっと高い所にありますよね。
| 代々木八幡宮 |
この付近から縄文時代の遺跡が出土しています。渋谷区では台地の上に古代遺跡が多数あり、谷底には基本的に遺跡はありません。これは、以前、現在の渋谷の谷が湿地で住みにくい地域あったことを物語っています。
代々木八幡宮の半島状の台地を越え、踏切を渡ると、河骨川が見えてきます。(実際には見えません。暗渠です)
この河骨川は、高野辰之作詞「春の小川」のモデルになったとされる川です。 1912年発表の童謡ですが、そのころ、この辺りにはのどかな谷戸の田園風景が広がっていたことでしょう。
| 「春の小川」歌碑。歌碑と小田急線の線路との間に河骨川暗渠(下見時) |
| 春の小川の看板。いたるところにある(下見時) |
さらに 河骨川を下っていくと北側からくる宇田川とぶつかります。
このあたりから宇田川跡は遊歩道となっています。
代々木八幡駅の南側は富ヶ谷という地域です。こちらも高級住宅街です。
東側には代々木公園があります。戦前には代々木練兵場という軍事施設があり、戦後GHQに接収され、兵士とその家族向けの宿舎「ワシントンハウス」が建ちます。1964年に日本に返還されると、東京オリンピックの選手村や国立競技場、NHKができました。
以前の巡検でも触れられていましたが、軍事施設のような広大な土地は、戦後、大規模開発され、大型施設が建てられやすいのですが、ここもその一例です。
| 奥の緑は代々木公園。説明に聞き入るメンバー |
さらに下ると神山町です。神山町には大手クリーニング業者の本社があります。河川沿いには大量の水が必要な(排水に適している)クリーニング店や染物屋などが立地しやすいのですが、この業者も宇田川と関係が深いと考えられます。
| クリーニング業者の本社 |
宇田川町に入ると渋谷センター街となります。センター街はもともと宇田川のあった場所なのです!現在も下水の宇田川幹線がセンター街を流れています。
さて、われわれは東急百貨店本店を横目に見ながら、宇田川支流の谷筋をたどっていきます。
この辺りは松濤という名高い超高級住宅地ですが、江戸時代には、紀州徳川家の下屋敷 、旗本長谷川氏の屋敷がありましたが、1872年に佐賀藩鍋島家の所有となり、狭山茶を移植して茶畑が開かれました。この茶畑は茶の湯が沸騰する音の雅名にちなんで「松濤園」と名付けられ、「松濤茶」の名で茶の販売が行われていました。東海道本線の開通による宇治茶、静岡茶などの東京への流入に伴う営業不振で1904年以降は一部を果樹園、宅地、遊園地(松濤遊園地)に転用し、東京市の管轄となった1932年に茶畑は廃止されました。そののち渋谷の都市化につれて住宅地となっていきます。
着いたのは鍋島松濤公園。
ここは、徳川家下屋敷時代から当地に存在していた湧水池とその周辺を茶畑廃止後に公園として整備したものです。
| 鍋島松濤公園にて |
このあと、円山町を抜け、京王井の頭線神泉駅へ。
神泉は、神泉谷と呼ばれる谷筋に位置しており、湧水が多く、江戸時代より村営の共同浴場である「弘法湯」が立地していました。大山街道(神奈川県伊勢原市の大山阿夫利神社に至る街道で現在の国道246号線)の宿場町であったほか、温泉地としての機能も果たしていました。明治以降は弘法湯の周辺に料亭や芸妓屋などが立地し、花街として前述の代々木練兵場からの客を集めました。1979年に弘法湯は閉業となり、料亭や芸妓屋なども1980年代までにはほぼ消滅しました。この料亭や芸妓屋などは転業によりは簡易宿所となり、集積するようになりました。これが円山町や神泉のホテル街なのです。
さて、谷をずっと歩いてきましたが、ここで台地に上がり、道玄坂の上に出ました。
この道玄坂、そして谷を越えて宮益坂の道が大山街道です。江戸時代の渋谷は江戸の境で、道玄坂は鬱蒼としていたといいます。明治時代には玉川電気鉄道(玉電)が開通して道玄坂付近に停車場ができると、駒沢方面の軍事施設から軍人が集まるようになり、発展が始まったようです。
国道246号線を渋谷駅方面に進んでいくと、渋谷川の谷に出ます。駅の南側には稲荷橋という橋が渋谷川びかかっており、その下流側は開渠、上流側は暗渠となっています。この付近の渋谷川は東京オリンピック直前に暗渠化されたようです(一部は昭和初期)。
| 稲荷橋前でナビゲーターの話を聞くメンバー |
| 稲荷橋から開渠区間の渋谷川を望む。雨の後などには水が流れる(下見時) |
渋谷駅は1885年に日本鉄道品川線(現在のJR山手線)の停車場として開業しました。そのときの駅は現在より300m南側、現在の埼京線ホームあたりにありました。当時は貨物駅でした。明治末期に玉電や市電が開業しましたが、 宮益橋(渋谷川と大山街道の交差地点)近くには水車があり、水田が広がっていたようです。大正時代に入ると都市化が進み、1920年には山手線の駅が現在の位置に移動し、昭和に入ると東急東横線や現在の京王井の頭線も乗り入れ、東横百貨店(現・東急百貨店東横店東館)が開業するなど、ターミナル駅として発展が進んでいきました。
まちの開発に際して、渋谷川がちょっとした問題になります。東横百貨店は乗り換え客を対象としたため、便利なところにつくらなければなりませんでした。しかし、そのような土地は狭く、渋谷川の上につくられてしまったため、地下がつくられませんでした。また、今の地下鉄銀座線をつくるとき、当時の技術の限界により、渋谷川の下にトンネルを掘ることや宮益坂の地下に同じ傾斜の鉄路を敷くことが難しかったため、銀座線の駅は3階にできてしまいました。
戦後、闇市からの露店商が日本初の地下商店街(現・しぶちか)に移されました。
1960年代以降、西武グループが本格的に事業を展開し、東急グループもファッションビルを開業するなど、「若者のまち」になっていきました。
東急新玉川線(現・田園都市線)、地下鉄半蔵門線、埼京線、湘南新宿ライン、地下鉄副都心線の開業・乗り入れと、ますます乗り換え駅としての性格を強めてきた渋谷駅とその周辺の地域は、個性的な文化の下で、これからも生まれ変わっていきます。
現在進められている再開発事業で、駅南側の渋谷川沿いには遊歩道ができ、現在ほとんどない渋谷川の水の流れを復活させる予定です。暗渠区間の渋谷川は流路を変更し、山手線ホームを改良し、埼京線ホームを山手線ホームと並べ、地下鉄銀座線の駅も東側にずらし、新たに高層の駅ビルがつくられ、駅前の各広場・バスターミナルが整備され、宮益坂側から道玄坂側を結ぶ歩行者道ができるなど、新たな渋谷がこれからつくられていきます。
| 旧東横線渋谷駅跡地(下見時) |
| 再開発工事中の渋谷駅周辺(下見時) |
| 渋谷川の流路変更工事(下見時) |
| 「この下に、いま渋谷川が流れています」(下見時) |
さてさて、巡検も終盤。
渋谷駅東口前で渋谷川の暗渠に想いを馳せつつ、昔、「宮益橋」があったと思われる附近を通り、宮下公園近くの中渋谷ガード前に到着。
ここは、宇田川と渋谷川が合流する地点です。
ガードの下をセンター街を抜けてきた下水道の宇田川が流れているということです。
すぐ北側には宮下公園があります。1930年ころに開設されました。
では、この宮下公園の「宮」というのは何のことでしょうか?
これは、明治神宮のことではなく、この地の東側に公家・梨本宮邸があったことに由来します。
2009年、「宮下NIKEパーク」という有料公園のに改修されることが発表されましたが、反対の声が大きく、計画が変更され、2011年に改修が完了し、開園しました。
| 宮下公園にて |
ここから時間があったら、キャットストリートを抜けて原宿方面まで抜けようとも思っていましたが、時間となったのであえなく断念。
ちなみにキャットストリートは、渋谷川の暗渠で、1967年に建設され、「裏原宿」などとも呼ばれています。
このあたりで今回の「渋谷巡検」は終了です。楽しんでいただけたでしょうか?
渋谷というまちは、谷底を中心に四方八方に広がっています。
それは、渋谷を見る上で重要なことだと考えています。
地形は、人と土地、人と人のかかわりを強く規定するように思います。
坂があることは、上り下りが大変な一方、風景に立体感を生み出します。また、坂によって、先が見通せないため、冒険心がかき立てられてくるかもしれませんし、人と人の目が合うことで、新たな出会いが生まれるかもしれません。
坂道を歩くときの感覚は、玉手箱を開けるときの感覚と同じなのかもしれません。
坂はまちの魅力につながります。
「渋谷」を歩いているとき、ほかのまちにいるとき、少し地形に意識を向けてみてください。
そうすることによって、今まで見えていなかったまちの魅力に気づき、まちの魅力の理由に気づくことができるかもしれません。
地理は身近なところでつながっています。
まだまだ未熟な1年生ではございますが、これからもよろしくお願いします。
そして、早稲田大学地理学研究会をこれからもご贔屓によろしくお願いします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【参考文献】
本田創『地形を楽しむ東京「暗渠」散歩』洋泉社、2012
皆川典久『凹凸を楽しむ東京スリバチ地形散歩』洋泉社、2012
ハセベケン『シブヤミライ手帖』木楽社、2005
田村圭介『迷い迷って渋谷駅 日本一の「迷宮ターミナル」の謎を解く』光文社、2013
村松伸『シブヤ遺産』バジリコ、2010
野口政吉ら『渋谷区大山町誌』大山町会、2004
渋谷区 www.city.shibuya.tokyo.jp
加藤竜哉.com:no river, no life www.kasetatsuya.com/noriver_nolife
東京博善 www.tokyohakuzen.co.jp
本郷金子商店株式会社 www.honkane.com
中野市 www.city.nakano.nagano.jp
東京都水道局 www.waterworks.metro.tokyo.jp
代々木八幡宮 www.yoyogihachimangu.or.jp
首都高速道路 http://www.shutoko.jp/
国土交通省関東地方整備局 http://www.ktr.mlit.go.jp/
東京都渋谷区編集 『新修渋谷区史』 1966
上山和雄「歴史の中の渋谷」 雄山閣 2011
皆川典久「東京『スリバチ』地形散歩」 洋泉社 2012
瀬川滋「渋谷大改造の全貌」日本経済新聞 2014
田村圭介「迷い迷って渋谷駅 日本一の『迷宮ターミナル』の謎を解く 光文社 2013
Webページ SHIBUYA FUTURE www.shibuyabunka.com/special
澁谷警察署新築記念 落成祝賀協賛會編纂 『澁谷町誌』(1922(大正11))
復刻版編集 龍渓書舎(1992)
石井研士 編著 『渋谷学叢書3 渋谷の神々』(2013) 雄山閣
斎藤月岑『江戸名所図会』(1834)
帝国軍人教育会編 『明治神宮御写真帖』
国立国会図書館近代デジタルライブラリー
日本初飛行の地(2014年10月16日閲覧)http://hamadayori.com/hass-col/air/hatuhiko.htm
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