今回は10月4日に行われた「西東京巡検」についてお知らせします。
西東京巡検で回るスポットには、田無と保谷、池袋線と新宿線、北口と南口等々、由来の違いから、似ているようで似ていないものが多くあります。そんなことも気にしつつ午後1時から6時半まで西東京4駅を巡りながら巡検を行いました。
まずは簡単に西東京市の紹介。西東京市は東京都の西北部に位置し、新宿、池袋へ20分というアクセスの良さから、ベッドタウンとして発展してきました。都心から距離が近く、多くの緑地が存在していることが特徴でしたが、急速な宅地化の進行により街路が入り組み、道幅も狭く、スプロール現象が顕著な地域が見られ、今後の都市計画の課題となっています。
それでは早速、巡検で回ったスポットの紹介です。
ひばりヶ丘駅
北口は古い建物が密集し、狭い街路が乱雑に伸び、土地利用に混乱がみられる反面、南口は駅前ロータリー、大規模商業地、マンションが整然と並んでいます。南口は1971(昭和46)年に駅前広場、駅前通りが整備されたことにより、西友、パルコ(下保谷住宅跡地)が進出しました。また、乱雑な北口はひばりヶ丘駅北口地区構想が立案され、再開発が計画されています。
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| 北口周辺の風景 商店が並ぶ光景(上)と再開発のために空き地が広がる(下) |
自由学園と学園町
自由学園は初等科から大学まで設置されている学校法人。学園創立者の羽仁もと子が1925(昭和1)年に久留米村南沢に10万坪の土地を購入しました。購入した10万坪の内、3万坪を学校に、残りの7万坪を使って住宅地として分譲しました。このとき分譲された住宅街が現在の学園町です。この時、学園は理想的な住環境を提供しようと考え、道路整備を行いました。下にある地形図を見ていただくと、その状況がよくわかります。
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| ぞろぞろ、整然と整備された真っ直ぐな街路を歩きます |
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| 自由学園前で学園町の解説です
自由学園周辺の地形図 大正6年(上) 昭和4年(下)
道路整備の様子がよくわかる。
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ひばりヶ丘団地
ひばりヶ丘団地は関東初のマンモス団地。団地ができる前は中島飛行機の関連工場があり、戦後、ぽっかり空いた跡地を住宅公団が買い取り、建設が進められました。そして1959(昭和34)年、突如1万人が住む街が誕生します。
この団地が注目を集めるきっかけとなったのが1960(昭和35)年の皇太子殿下訪問。これによりひばりヶ丘団地のイメージが急上昇し、全国的な団地ブームの火付け役となりました。
現在は建て替えが進み、「ひばりが丘パークヒルズ」(丘丘?)として売り出されています。
いこいの森公園
2006年4月29日に開園した西東京市最大の公園です。この場所には元々東大の原子核研究所がありました。当時は第五福竜丸事件が発生し、設置に対して住民の反対運動がありました。それから数十年たち、研究所は移転され、西東京市は空いた土地を買い、合併記念公園を作ることを決めました。そして完成したのがこの、いこいの森公園です。
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| いこいの森公園でみつけたもの。奥歯? |
田無タワー
高さ195mで国内の塔では全国11番目の高さを誇るとか。この塔は通信事業者が共同で使用する電波塔ですが、なぜ西東京市に建設されたのでしょう。答えは都心の高層ビル群に電波が遮られないようにするため。高層ビル群から距離のある東京の西に建設されました。
谷戸街道
西東京を縦に貫く谷戸新道、谷戸を通ることから、道すがら上宿周辺で新川の暗渠を目にすることができます。そして、谷戸新道の不思議な旧道が現れます。この旧道はこの地点のみ、くねくねと曲がっていますが、何故曲がっているのかはいまだ不明です。
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| 西側に湾曲した旧道。何故この地点のみ曲がりくねっているのでしょう |
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| 新川の暗渠。谷戸新道から西向きに撮影 |
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| 昭和4年の地形図。この当時から曲がりくねっている様子がわかります |
田無神社
建立は13世紀のこと。かつては谷戸町の宮山(現田無第二中学校周辺)に鎮座していましたが、江戸時代に田無の宿場町が形成し始めると、現在の位置へ移されました。
中島飛行機武蔵野製作所工場線跡
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| 西武新宿線西武柳沢~田無間の線路をくぐるトンネル。鉄道を予感させます。 |
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| ナビゲーターの説明に耳を傾けます |
西武柳沢駅
北口は広場やアクセス道路などの基盤整備が不十分で狭い一方通行の道が多くある一方、南口はロータリーを持ち、大型マンション、都営住宅が立ち並んでいます。西東京市は北口の青梅街道へのアクセスを改善し、駅前ロータリーを再開発する計画を行っているようです。
西東京東伏見トンネル
西東京市を縦貫する調布保谷線の区間として2013年に開通しました。この道路は南北の交通路としての利用や高齢者対策の一環でバス、歩行者にやさしく計画されているため、非常に広い幹線道路となっています。
また、西東京東伏見トンネルの直上は都立東伏見公園があります。![]() |
| 西東京東伏見トンネル。結局西なんだか東なんだか... |
東伏見神社
1929(昭和4)年に伏見稲荷大社から分霊を勧請されて創建。この創建によって1929(昭和4)年に上保谷駅は東伏見駅に改名されました。石神井川
小平市花小金井南町にある小金井カントリークラブ敷地内の湧水を水源として富士見池、三宝寺池、豊島園池などの湧水や河床からの湧水を合わせて隅田川へ合流する河川です。西東京市東伏見付近より上流はほとんど水が流れておらず、雨水排水路としての役割を果たしています。
下野谷遺跡(したのやいせき)
1972(昭和47)年から発掘調査が行われ、関東ローム層の中から縄文時代の石器が出土しました。その後の調査で縄文時代の集落が石神井川流域に点在していることが明らかになりました。縄文人は下野谷をベースキャンプとしながら石神井川を交通、食糧調達のために利用していました。しかし、その後の時代、弥生から古墳時代の状況がわかる資料は出土していません。
早稲田大学東伏見キャンパス
テニスコート、野球場、アメフト場がある東伏見キャンパス。西武鉄道のあっせんによって1925(大正14)年に開設されました。また、東伏見駅前にかつて、早稲田大学が所有するテニスコートがありましたが、現在は1984(昭和59)年に開業したアイススケートリンク(現ダイドードリンコアイスアリーナ)に姿を変えています。
東伏見駅
西東京巡検の終着点は東伏見駅。1927(昭和2)年に開業しました。当時、西武鉄道が早稲田大学運動場開設と同時に運動場の西側に郊外住宅地を分譲しました。その名も「長寿園」。また、田園調布を真似て駅前広場と放射状の道を造ったそうですが、うーん、見えるような見えないような…。東伏見駅は住宅地造成と東伏見稲荷神社の創建により、開業と同時に利用者数は大きく増加しました。しかし、西武鉄道が終点を早稲田にする、という方針に転換したことで、分譲地の戸外住宅化は失敗に終わりました。
同じ市内であるのに、異なるものが包含される西東京市。いこいーなトレインに揺られながら、出かけてみてはいかがでしょう。


















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