あけましておめでとうございます。早稲田大学地理学研究会「以下、ちりけん」、2年の「ちりちりパーマくん」です。ちりけんブログをご覧になっていただき、誠にありがとうございます。本年もちりけんは野や街に出て、巡検(注1)をおこない、地理学を五感で探っていきたいと思います。なにとぞよろしくお願いします。
(注1) 巡検とは、地理を実践的に学ぶために現地に赴いてフィールドワークをすることらしいですが、分かりやすくいうと、ブラタモリみたいなことをするわけです。
さて、われわれちりけんは、昨年12月22日に鎌倉巡検に行ってまいりました。
今回の巡検のテーマは、「いざ!!鎌倉」。鎌倉時代、鎌倉幕府の武士たちは、号令がかかると領地からまっさきに鎌倉に飛んでいきました。平成の我々もサムライになったつもりで、山越え谷越え鎌倉を目指したいと思います。
今回のルートはおおまかに、鎌倉を西から東へ一直線に横断しました。この鎌倉に入るルートは、かつて武蔵大路と呼ばれた、群馬県から東京の多摩地域を通って鎌倉に入る重要な道路に沿っています。
13:30 大船駅集合→湘南モノレールで湘南町屋駅へ→鎌倉中央公園→葛原岡神社→銭洗弁天→源氏山公園頼朝銅像→景清の土牢→亀ケ谷坂→扇谷上杉管領屋敷跡→若宮大路段葛→大佛茶廊→若宮大路幕府旧蹟→東勝寺跡・腹切りやぐら→小町通り→鎌倉駅 17:50頃
※白抜き文字は文中で紹介した箇所
この湘南モノレールは、かつて昭和のなかばに存在した平地の有料道路、「京浜急行線」のルートにほぼ沿っています。あの真っ赤な電車と同じ会社ですが、鉄道の路線ではありません。実に紛らわしい。それに平地の有料道路とか、キセルし放題ですよね。
さて湘南モノレールに揺られて約5分、湘南町屋駅から今回の巡検がスタートです。まず一行は鎌倉中央公園に向かいます。
| 谷戸は水田に使われることが多いです。昔は東京近郊でもこのような谷間に水田がよく見られました。 |
↑鎌倉中央公園周辺の地図、周りと比べて色が薄く、爪が長い怪物の手のような谷が「谷戸」。周辺は山が削られて宅地開発された場所
鎌倉には谷戸が多く、後で訪れる扇ヶ谷のように「○○ヶ谷」といった地名が数多く見られます。
また、鎌倉市街の地形は、海に面している南を除けば山に囲まれた谷のようになっています。鎌倉には谷戸が多く、後で訪れる扇ヶ谷のように「○○ヶ谷」といった地名が数多く見られます。
鎌倉とはまさに谷戸そのものといっていいでしょう!!
ここの周辺は「梶原(かじわら)」という住所だそうです。梶原といえば、源義経と対立した梶原景時が有名ですね。言い伝えでは梶原氏はこの地名から苗字をもらったとされています。
鎌倉にはこの梶原以外にも、二階堂や山ノ内など、武士の苗字にゆかりがある地名が数多くあります。
今回訪れたのは鎌倉の北の出入り口、亀ケ谷(かめがやつ)坂。この坂では山を切り開き、人と馬が通れる通路になっています。
鎌倉には、この亀ケ谷坂を入れて代表的なもので七つの切通があります。三方を山に囲まれ、通路もこのような左右を崖に挟まれた狭い道に限定している鎌倉は、 まさに鉄壁の要塞です。
| 扇谷上杉管領屋敷跡 |
もともとこの地は頼朝の父、源義朝の屋敷があり、鎌倉に幕府が設置された決め手も、父の屋敷があったからというのが理由のひとつでした。
つまり、鎌倉がこんなに有名になったのはこの場所のおかげといってもいいでしょう。その義朝の屋敷があったとされる地は、現在は寿福寺というお寺になっており、北条政子や源実朝の「やぐら(後述)」、陸奥宗光の墓があります。
つまり、鎌倉がこんなに有名になったのはこの場所のおかげといってもいいでしょう。その義朝の屋敷があったとされる地は、現在は寿福寺というお寺になっており、北条政子や源実朝の「やぐら(後述)」、陸奥宗光の墓があります。
(注2) 文章を一読すると、亀ケ谷坂切通を踏破して鎌倉の山を越えたように感じられると思いますが、文章は「いざ!!鎌倉」の雰囲気を出すための誇張で、実際は亀ケ谷坂切通には途中までしか行っていません。ご容赦ください。ただ、山を越えて鎌倉に入ったのは事実です。
↓扇ガ谷周辺の地形。山に囲まれたその地形は、扇というよりキャベツ?
「頼朝様、
ただいま一族郎党引き連れてまいりましたーー!!」
ただいま一族郎党引き連れてまいりましたーー!!」
というのは頭の中の妄想で、昔将軍がいたところは当時の痕跡もなく、ただ石碑が残るのみです。
ちなみに、この若宮大路幕府という屋敷に頼朝が住んでいたことはありません。この屋敷は、源氏が滅んだ後、将軍が公家や皇族から選ばれる時代になってから使われ始めました。
最後に立ち寄ったのは東勝寺跡です。滑川にかかる橋を渡り、坂を上っていくと、そこにはお寺の建物は何もなく、柵に囲まれた更地があります。その横には、山をくりぬいて作った洞窟があります。これが「腹切りやぐら」です。
新田義貞が鎌倉に攻め入ったとき、鎌倉幕府側の大将、北条高時は堅固な東勝寺に立てこもります。しかしとうとうそこも敵を防ぎきれず、この洞窟で一族と共に命を絶ったと伝えられています。つまりここは鎌倉幕府終焉の地なのです。当時鎌倉ではやぐらはお墓として使われていたそうですが、詳しい埋葬方法はまだ明らかになっていないそうです。
当日訪れた際はあたりは真っ暗になってしまい、いかにも何か出てきそうだったと、のちに多くのメンバーが証言しています。みな神妙に手を合わせました。
今回使用した地形図
25000分の1地形図 「鎌倉」距離 8km
最高地点 標高85m 源氏山公園付近
最低地点 標高10m 鎌倉市小町一帯
出発地点の湘南町屋駅は標高24m
巡検を終えて
今回は普段の巡検と違って、アップダウンが多い道を長距離歩くことになり、終盤は日が暮れて真っ暗になってしまいました。改めて文を見返してみても山のネタばっかりですね。皆様大変おつかれさまでした。
ただ、鎌倉に入る際には山を越えることで、山地という「地形」を否応なく体感し、山に囲まれた武家の都としての鎌倉の守りの強さを身をもって実感できました。また鎌倉発展のルーツである扇ガ谷から終焉の地である腹切りやぐらに至るという、はからずも鎌倉幕府の始めと終わりを辿ることができて、とても有意義な巡検になったと思います。
____________________________________
地理研は、 年 中 新 歓 期 で す。
活動に興味のある方は、geo.wasedaあっとまーくgmail.com
までご一報ください。
地理に興味ある、地理が好きであればどなたでも。大学・学部・学年不問です。
①お名前
②大学・学部・学年
をわすれずに(^0^)
___________________________________

0 件のコメント:
コメントを投稿