はじめまして、今回の巡検を担当した学部4年のおぐら(前々幹事長)です。
幹事長のご厚意で、卒業前最後の巡検を担当させていただく運びとなりました。
簡単ではありますが、巡検当日の様子を投稿します。
15:00 ポイント1. 都庁第一本庁舎南展望室
無料で開放しているお手軽な展望スポットとして有名な都庁展望室。
平日ではありましたが、外国人観光客を含めて多くの人で賑わっていました。
ここからは東京のおおまかな地形を見ました(建物で覆われているのでよく分からないのですが)。
東西を比べてみると、東側は台地から低地へ移っている様子がなんとなくですが見て取れました。
西側は武蔵野台地が延々と続くので、かなり平坦な地形に見えます。
15:40 淀橋給水場通過
新宿駅西口に広がる超高層ビル街はかつて淀橋浄水場(1899年から1965年まで)という水道施設の土地でした。
淀橋浄水場が当地に立地した要因として、豊富な水量があった玉川上水に近く、周囲より一段高い半島状に突き出た台地である事が考えられます。
浄水場の唯一の名残として、淀橋給水場に立ち寄りました。
東村山浄水場からの水道水を各方面に振り分けるポンプ施設のようです。
15:45 ポイント2. 十二社(じゅうにそう)の池
「十二社池の上」「十二社池の下」というバス停があるものの、現在の地図では池らしきものが全く確認でき ません。
1606年に農業用の溜池として開発された十二社の池は、1968年に完全に埋め立てられてしまいました。
1710年頃から次第に景勝地として人を引き寄せるようになり、1850年頃には料亭や待合が立ち並ぶ花街としての性格を帯びてきました。
現在でも池があった辺りは窪地になっていて、建物も廃業した料亭や待合と思われるものが残っています。
16:05 42条2項道路
建築基準法上の特例として認められている幅員4メートル以内の狭小道路を42条2項道路と言います(詳しくはWikipediaにも載っています)が、法律の基準に適合させるために幅員4メートルに拡幅している様子が見られました。
16:15 助水堀
水需要の増加により水量が不足しつつあった神田上水に向けて、玉川上水から水を引くために1667年に掘られたのが助水堀という水路です。
暗渠の香りがする通路(一応公園らしい)が熊野神社前から神田川の淀橋にかけて続いています。
16:30 淀橋
新宿区の一部となった旧「淀橋区」やレールサイド型家電量販店の「ヨドバシカメラ」 、超高層ビル街を乗せる台地の「淀橋台」等々、よく目にする事が多い「淀橋」。
実は神田川に掛かる小さな橋が由来となっています。
16:50 ポイント3. 西新宿7丁目の店舗立地
賑やかな新宿駅東口とは対照的に西口は静かなエリアですが、その中でも人通りが少ない新宿駅の北側に位置する西新宿7丁目では、特徴的な店舗立地が見られます。
中古レコード店やV系インディーズ専門のCD店、予備校が集積している様子が歩くと分かります。
おそらく新宿駅近くにしては人通りが少ない為に地価が安く、大衆向けではないニッチ需要の店舗や利便性と静寂性を求める予備校が自然と立地したのでしょう。
17:00 大久保駅前商店街
北新宿百人町交差点から大久保駅に向かって伸びる商店街の入口に小さな坂があります。
ここは約12万年前の海底面である下末吉面と約8万年前の扇状地である武蔵野面の境で、約4万年も成立年代が異なるという地形のロマンを感じられるスポットです。
17:10 ポイント4. 百人町(新大久保地区)
言わずと知れた大規模なコリアンタウンが存在しますが、実は多様な国籍の外国人の受け皿となっている街です。
ロッテ新宿工場が開設されたのを機に外国人に開かれた街となりましたが、都心部に近いにも関わらずそれほど開発が進んでいなかったという要因もあって、外国人が集まるようになったのでしょう。
今回はイスラム通りとも呼ばれる、ムスリム向けの店が軒を連ねる通りを歩きました。
百人町という変わった地名は、江戸時代に市中の警備を担当した鉄砲隊の百人組が当地に屋敷を置いていた事に由来します。
大久保通りに面した皆中稲荷神社は皆(みな)中(あた)るという事で、鉄砲隊の神社である事を思わせます。
18:00 ポイント5. 神田川の段丘地形
武蔵野面上の百人町から神田川の小滝橋まで一気に下りて、地形面の確認をしました。
武蔵野1面、武蔵野2面、立川面、現在の沖積面と4つの平坦面が存在し、神田川に向かって標高を下げています。
これは、武蔵野1面が形成された後に、神田川が海水面変動や地盤の隆起運動の影響を受けながら侵蝕・堆積作用を働かせ、このような地形が作られたのです。
以上で巡検は終了しました。
このように、私たち早大地理研が拠点とする新宿区という身近な地域でも、見る視点によっては地理学的事象が見えてきます。
自然により造られた土地に人間が生活する限り、フィールドワークはどの地域でも実になるという事を再確認できた、そんな巡検となりました。
幹事長のご厚意で、卒業前最後の巡検を担当させていただく運びとなりました。
簡単ではありますが、巡検当日の様子を投稿します。
15:00 ポイント1. 都庁第一本庁舎南展望室
無料で開放しているお手軽な展望スポットとして有名な都庁展望室。
平日ではありましたが、外国人観光客を含めて多くの人で賑わっていました。
ここからは東京のおおまかな地形を見ました(建物で覆われているのでよく分からないのですが)。
東西を比べてみると、東側は台地から低地へ移っている様子がなんとなくですが見て取れました。
西側は武蔵野台地が延々と続くので、かなり平坦な地形に見えます。
15:40 淀橋給水場通過
新宿駅西口に広がる超高層ビル街はかつて淀橋浄水場(1899年から1965年まで)という水道施設の土地でした。
淀橋浄水場が当地に立地した要因として、豊富な水量があった玉川上水に近く、周囲より一段高い半島状に突き出た台地である事が考えられます。
浄水場の唯一の名残として、淀橋給水場に立ち寄りました。
東村山浄水場からの水道水を各方面に振り分けるポンプ施設のようです。
15:45 ポイント2. 十二社(じゅうにそう)の池
「十二社池の上」「十二社池の下」というバス停があるものの、現在の地図では池らしきものが全く確認でき ません。
1606年に農業用の溜池として開発された十二社の池は、1968年に完全に埋め立てられてしまいました。
1710年頃から次第に景勝地として人を引き寄せるようになり、1850年頃には料亭や待合が立ち並ぶ花街としての性格を帯びてきました。
現在でも池があった辺りは窪地になっていて、建物も廃業した料亭や待合と思われるものが残っています。
16:05 42条2項道路
建築基準法上の特例として認められている幅員4メートル以内の狭小道路を42条2項道路と言います(詳しくはWikipediaにも載っています)が、法律の基準に適合させるために幅員4メートルに拡幅している様子が見られました。
16:15 助水堀
水需要の増加により水量が不足しつつあった神田上水に向けて、玉川上水から水を引くために1667年に掘られたのが助水堀という水路です。
暗渠の香りがする通路(一応公園らしい)が熊野神社前から神田川の淀橋にかけて続いています。
16:30 淀橋
新宿区の一部となった旧「淀橋区」やレールサイド型家電量販店の「ヨドバシカメラ」 、超高層ビル街を乗せる台地の「淀橋台」等々、よく目にする事が多い「淀橋」。
実は神田川に掛かる小さな橋が由来となっています。
16:50 ポイント3. 西新宿7丁目の店舗立地
賑やかな新宿駅東口とは対照的に西口は静かなエリアですが、その中でも人通りが少ない新宿駅の北側に位置する西新宿7丁目では、特徴的な店舗立地が見られます。
中古レコード店やV系インディーズ専門のCD店、予備校が集積している様子が歩くと分かります。
おそらく新宿駅近くにしては人通りが少ない為に地価が安く、大衆向けではないニッチ需要の店舗や利便性と静寂性を求める予備校が自然と立地したのでしょう。
17:00 大久保駅前商店街
北新宿百人町交差点から大久保駅に向かって伸びる商店街の入口に小さな坂があります。
ここは約12万年前の海底面である下末吉面と約8万年前の扇状地である武蔵野面の境で、約4万年も成立年代が異なるという地形のロマンを感じられるスポットです。
17:10 ポイント4. 百人町(新大久保地区)
言わずと知れた大規模なコリアンタウンが存在しますが、実は多様な国籍の外国人の受け皿となっている街です。
ロッテ新宿工場が開設されたのを機に外国人に開かれた街となりましたが、都心部に近いにも関わらずそれほど開発が進んでいなかったという要因もあって、外国人が集まるようになったのでしょう。
今回はイスラム通りとも呼ばれる、ムスリム向けの店が軒を連ねる通りを歩きました。
百人町という変わった地名は、江戸時代に市中の警備を担当した鉄砲隊の百人組が当地に屋敷を置いていた事に由来します。
大久保通りに面した皆中稲荷神社は皆(みな)中(あた)るという事で、鉄砲隊の神社である事を思わせます。
18:00 ポイント5. 神田川の段丘地形
武蔵野面上の百人町から神田川の小滝橋まで一気に下りて、地形面の確認をしました。
武蔵野1面、武蔵野2面、立川面、現在の沖積面と4つの平坦面が存在し、神田川に向かって標高を下げています。
これは、武蔵野1面が形成された後に、神田川が海水面変動や地盤の隆起運動の影響を受けながら侵蝕・堆積作用を働かせ、このような地形が作られたのです。
以上で巡検は終了しました。
このように、私たち早大地理研が拠点とする新宿区という身近な地域でも、見る視点によっては地理学的事象が見えてきます。
自然により造られた土地に人間が生活する限り、フィールドワークはどの地域でも実になるという事を再確認できた、そんな巡検となりました。
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