幹事長の植ですー!
3月13日の中央区・千代田区巡検の報告です!
今回の巡検は、2015年3月に卒業される先輩方がナビゲーターをしてくださいました!
まずは・・・お楽しみということで、
朝の7:00に築地本願寺前に早起き5人組が集合。
朝の築地市場の賑わいを肌に感じ、朝の築地城内市場でおいしい海鮮丼をいただきましたー!
10:00に地理研メンバーみんなで築地本願寺に集合して巡検開始です~
運河の跡地が細長く駐車場・公園として残されています。
ここらへんは全部埋め立てられて作られた土地です。埋め立てには、土を運ぶ運河が必要になります、その跡です。
中央区明石町です
この地区は、明治2年に築地鉄砲洲として外国人居留地が作られ、外国人がまとめて住まわれていた地区です。そのためたくさんのミッションスクールの開校の碑や、聖路加病院などがあります。
タワーマンションがたくさん見えますが、都心回帰によってジェントリフィケーションがなされた様子がうかがえますね。
ふたたび築地に戻ってきました。築地市場です。
東京(国内)の鮮魚流通を担っている重要な卸売市場です。
朝に比べるとずいぶんと落ち着いています
もともとの市場の原点は日本橋(魚河岸)でしたが、関東大震災で崩壊し、現在の築地市場に移転してきました。
市場の扇形の形は鉄道を引き入れていた名残です。
現在は老朽化などから豊洲への移転が決定されましたが、問題が山積みです。
そのような場内市場に対して、場外市場という、関連業者が自然に集まってできた市場(商店街)もあります。
ちなみに、築地市場横の中央卸売市場駐車場には日本初の本格的洋風ホテルがありました。
しかし、5年で焼失し「幻のホテル」と言われています。
波除稲荷神社
築地市場の横にある神社です。市場の関係の人がお参りしていて、玉子塚・海老塚などあります。
続いて銀座です!
銀座って、すごく高級なイメージがあります・・・たしかに、「銀ブラ」なる単語だってあるし、有名店がお店をまず出すのは銀座だし、銀座という土地ならではの価値があります。
ただ、明治までは庶民がたくさん住んでいた土地で、一本裏に入ると、細い裏路地や、銭湯があったりして、人の生活との共存がみられるおもしろい場所です。
東京高速道路の高架があります。
この高架も、築地と同じように、運河跡の土地を利用して作られた道路です。
いまでも東京高速道路周辺の交差点の名前には「京橋」「新橋」「数寄屋橋」「三原橋」というように橋の名前が残っています。
ここまで中央区でしたが、ここから千代田区の「大丸有」と呼ばれる地域に入ります。大手町・丸の内・有楽町が「大丸有」地域です。
「大丸有」地域では、大手町・丸の内・有楽町それぞれで「伝統と刷新」のもと、それぞれのエリアで異なるコンセプトで都市づくりがされています。
まずはじめに有楽町エリアです。
有楽町エリアは商業施設が集まる活気のある地域であることが特徴です。
もともと、明治末期から、新橋駅に近いという利便性・ミッションスクールが多くあり文化学術面で有利だったこと・銀座の煉瓦の建物が印刷に使えたことから、報道機関が多く立地しました。
その後は、高級な銀座と、エリート企業の丸の内に挟まれた緩衝地帯として・2つをつなぐ結節点として現在まで発展を遂げています。
碁盤の目状の歴史的な敷地割りを斜めにJR線が横切っているのもおもしろいです。
日比谷公園でひと休憩です(遅めの昼食)。
先輩方がお寿司を差し入れてくれました!おいしかったです。ありがとうございます。
つづいて、日比谷公園を出てから丸の内エリアを見て歩きます。
通称「三菱村」とも呼ばれるエリアです。
もともと日比谷入り江といわれる入り江があった場所で、徳川家康の入城により埋め立てられ、大名屋敷が並んでいた場所です。
大政奉還後は、大名屋敷が陸軍の練兵場になり、1890年に三菱に払い下げられ、その後三菱が単独で開発してきた地域です。
碁盤の目の区画は大名屋敷が広がっていた名残です。
今は、帝国劇場・明治生命館・三菱1号館・三菱銀行本店・丸ビル・新丸ビルなどが立ち並んでいます。新丸ビルは東京駅との空中権売買で容積率が緩和され、高い建物になっています。
「大丸有」の最後に大手町エリアです。
大手町は3つのエリアの中でもビジネスの効率化に重きを置いている印象が強い地域です。
特に大手町連鎖型都市開発と呼ばれる、URが調停役となって、老朽化したビルを連鎖的に立て替えて、順番にオフィスを移転させていく事業が注目されます。
また大手町温泉も開発中です。
最後に、日本の道路の出発点である日本橋を見て、巡検終了です!
1日お疲れ様でした!
最後に、ナビゲーターをしてくださった3人の先輩方、ほんとうにありがとうございました。
内容は地理的に興味深く、さらには楽しめる内容で、楽しかったです。
ご卒業並びにご就職おめでとうございます(^^)!
3月13日の中央区・千代田区巡検の報告です!
今回の巡検は、2015年3月に卒業される先輩方がナビゲーターをしてくださいました!
まずは・・・お楽しみということで、
朝の7:00に築地本願寺前に早起き5人組が集合。
朝の築地市場の賑わいを肌に感じ、朝の築地城内市場でおいしい海鮮丼をいただきましたー!
運河の跡地が細長く駐車場・公園として残されています。
ここらへんは全部埋め立てられて作られた土地です。埋め立てには、土を運ぶ運河が必要になります、その跡です。
中央区明石町です
この地区は、明治2年に築地鉄砲洲として外国人居留地が作られ、外国人がまとめて住まわれていた地区です。そのためたくさんのミッションスクールの開校の碑や、聖路加病院などがあります。
ふたたび築地に戻ってきました。築地市場です。
東京(国内)の鮮魚流通を担っている重要な卸売市場です。
![]() |
| 吉野家1号店は築地市場内 |
もともとの市場の原点は日本橋(魚河岸)でしたが、関東大震災で崩壊し、現在の築地市場に移転してきました。
市場の扇形の形は鉄道を引き入れていた名残です。
現在は老朽化などから豊洲への移転が決定されましたが、問題が山積みです。
そのような場内市場に対して、場外市場という、関連業者が自然に集まってできた市場(商店街)もあります。
ちなみに、築地市場横の中央卸売市場駐車場には日本初の本格的洋風ホテルがありました。
しかし、5年で焼失し「幻のホテル」と言われています。
波除稲荷神社
築地市場の横にある神社です。市場の関係の人がお参りしていて、玉子塚・海老塚などあります。
続いて銀座です!
銀座って、すごく高級なイメージがあります・・・たしかに、「銀ブラ」なる単語だってあるし、有名店がお店をまず出すのは銀座だし、銀座という土地ならではの価値があります。
ただ、明治までは庶民がたくさん住んでいた土地で、一本裏に入ると、細い裏路地や、銭湯があったりして、人の生活との共存がみられるおもしろい場所です。
東京高速道路の高架があります。
この高架も、築地と同じように、運河跡の土地を利用して作られた道路です。
いまでも東京高速道路周辺の交差点の名前には「京橋」「新橋」「数寄屋橋」「三原橋」というように橋の名前が残っています。
ここまで中央区でしたが、ここから千代田区の「大丸有」と呼ばれる地域に入ります。大手町・丸の内・有楽町が「大丸有」地域です。
「大丸有」地域では、大手町・丸の内・有楽町それぞれで「伝統と刷新」のもと、それぞれのエリアで異なるコンセプトで都市づくりがされています。
まずはじめに有楽町エリアです。
有楽町エリアは商業施設が集まる活気のある地域であることが特徴です。
もともと、明治末期から、新橋駅に近いという利便性・ミッションスクールが多くあり文化学術面で有利だったこと・銀座の煉瓦の建物が印刷に使えたことから、報道機関が多く立地しました。
その後は、高級な銀座と、エリート企業の丸の内に挟まれた緩衝地帯として・2つをつなぐ結節点として現在まで発展を遂げています。
碁盤の目状の歴史的な敷地割りを斜めにJR線が横切っているのもおもしろいです。
日比谷公園でひと休憩です(遅めの昼食)。
先輩方がお寿司を差し入れてくれました!おいしかったです。ありがとうございます。
つづいて、日比谷公園を出てから丸の内エリアを見て歩きます。
通称「三菱村」とも呼ばれるエリアです。
もともと日比谷入り江といわれる入り江があった場所で、徳川家康の入城により埋め立てられ、大名屋敷が並んでいた場所です。
大政奉還後は、大名屋敷が陸軍の練兵場になり、1890年に三菱に払い下げられ、その後三菱が単独で開発してきた地域です。
碁盤の目の区画は大名屋敷が広がっていた名残です。
今は、帝国劇場・明治生命館・三菱1号館・三菱銀行本店・丸ビル・新丸ビルなどが立ち並んでいます。新丸ビルは東京駅との空中権売買で容積率が緩和され、高い建物になっています。
「大丸有」の最後に大手町エリアです。
大手町は3つのエリアの中でもビジネスの効率化に重きを置いている印象が強い地域です。
特に大手町連鎖型都市開発と呼ばれる、URが調停役となって、老朽化したビルを連鎖的に立て替えて、順番にオフィスを移転させていく事業が注目されます。
また大手町温泉も開発中です。
最後に、日本の道路の出発点である日本橋を見て、巡検終了です!
1日お疲れ様でした!
最後に、ナビゲーターをしてくださった3人の先輩方、ほんとうにありがとうございました。
内容は地理的に興味深く、さらには楽しめる内容で、楽しかったです。
ご卒業並びにご就職おめでとうございます(^^)!























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