2015年2月15日日曜日

多摩ニュータウン巡検(2015/2/15)



ご無沙汰しております、2年になってしまいました松田です。
2月に実施した多摩ニュータウン巡検の報告をします。

今回は、「ニュータウンの変遷」をテーマに巡検を行いました。
多摩ニュータウンは初期入居が始まってから40年以上経ちます。時代の移り変わりとともに街並みや住民も変化していきました。巡検ルートもその変遷に沿ったものになっています↓


実際にルートを見ていく前に、多摩ニュータウンが作られた背景や街全体の特徴についてご説明します。

①背景
 時代は高度経済成長期に遡ります。当時は、地方から東京にどんどん人が流入していました。しかし、流入数に対して住宅供給が追い付いておらず、都心の住環境は劣悪なものでした。こうした状況を打破するべく、多摩ニュータウン構想が持ち上がりました。

②多摩ニュータウンの特徴
1.多摩丘陵
 多摩ニュータウンがある多摩丘陵は、台地よりもより長い時間浸食されてきたので谷が発達して平坦面が無くなってしまった結果、谷戸・谷地型水田が発達し、山を切り崩す宅地開発や谷に沿った幹線道路建設が行われました。しかし、このような大規模土地改変が降雨時の 土砂流出、斜面崩壊、旧河道での水害や地震時の盛土部の崩壊など、様々な災害をもたらす素因をつくり出しています。


尾根幹線

2.近隣住区論
多摩ニュータウンはC.A.ペリーの「近隣住区論」に基づいて住区構成されています。近隣住区は幹線道路で囲まれており、住区内には通過交通が入り込まないように、住区内道路をわざと曲げたり、クルドサックが設けられています。この住区の大きさは、1中学校・2小学校を基本単位としており、面積約100ha、住戸数5000戸程度、人口1万〜2万となっています(ペリーの理論の約2倍の大きさ)。半径800m(徒歩圏)の円に地区のほぼ全域が収まることから、街の構造が容易に頭の中にイメージできる程度のスケールの街であると言えるでしょう。

3.センター構想とロードサイド店舗
多摩ニュータウンでは、住区中央に商店街、交番、郵便局、診療所街、コミュニティーセンターなどが集まった「近隣センター」が整備されています。

4.下駄履き商店
アパートの1階部分や、1階建ての建物には日用品を売る商店街や喫茶店などが入っていますが、シャッターを下ろしたままの店も多いです。これは、駅前商店街の発達や、幹線道路沿のロードサイド店舗の増加が原因でしょう。
団地の高齢化に伴い、近年ではデイケアサービス店舗も増加。


5.公園
ニュータウン内には、大小様々な公園が設けられており、公園緑地率も19%と全国的にみて高い水準にあります。無機質になりがちな団地内を彩る緑は人々の憩いの場となっています。
公園の清掃は団地のボランティア団体が行っていることも。


6.ペデストリアンデッキ

ニュータウン全体にわたって、徹底した歩車道分離のペデストリアンデッキが主要幹線道路と立体交差する形で走っています。このペデストリアンデッキは網の目状に張り巡らされているため、車道に降りることなしに住区センターやコミュニティー施設、公園にたどり着くことが可能です。その一方で、バスなどを利用するためにはデッキからスロープや階段で降りる仕組みになっているため、高齢者などにとってはバリアになっていることも問題になっています。
急な階段は上り下りに一苦労。

では、実際に巡検ポイントを見ていきましょう。



Ⅰ.諏訪・永山地区
多摩ニュータウンの中でも最初に事業着手及び入居が開始された地区。初期入居から40年以上が経過しています、将来を見据えて設計された街並みは先進的です。新旧様々なマンションや住宅が混在しているため、景観にアクセントがあり見飽きることがありません。

1.  1970年代
 諏訪・永山地区への入居は1971年から始まりましたが、第一次入居に際しては学校などの公共施設などの整備の遅れが問題になりました。鉄道の開通も間に合わなかったため、通勤者は団地から最寄駅の聖蹟桜ヶ丘駅までバスを利用するしかありませんでした。しかし、バスルートの幹線道路も整備が未了であったため、旧道を利用せざるを得ませんでした。このように、交通インフラの整備の遅れが深刻であったことから、多摩ニュータウンは当時「陸の孤島」とも揶揄されましたが、深刻な住宅事情を一刻でも早く解決するためには入居結構もやむを得ないことでした。

①   ようかん型マンション
住宅公団が建設した初期の団地に見られるタイプ。建物の形が凹凸のない直方体であることから雁行型マンションと比較してようかん型と呼ばれています。施工しやすく、コストを抑えることができるため、住宅供給数が不足していた70年代に多く建てられました。主な住戸型は2DKないし3DKであり住戸面積は50㎡程度と今日の感覚だとやや狭く感じますが、当時は一般市民の憧れの住宅環境でした。また、住棟の多くは5階建てエレベーターなしであったため、高齢化が進んだ団地内では大きなバリアとなっています。近年はエレベーターの敷設も進んでいますが、ようかん型マンションはフロアの通り抜けができない構造であるため、複数のエレベーターを設置せねばならず、費用がかさむことが問題となっています。

②   永山駅
巨額の先行投資や片道輸送の懸念がされなかなか着工に至らなかった鉄道も、鉄道事業者への支援策が具体化された1972年から建設が始まりました。そして、1974年6月には小田急多摩線新百合ヶ丘駅~永山駅間が、同年10月には京王相模原線よみうりランド駅~多摩センター駅間が開通しました。


③   グリナード永山
 永山駅開設に合わせ始まった永山駅前センター整備の際に建設された複合商業施設。1号館にはスーパー・衣料品・飲食店などの専門店や銀行・郵便局・診療所などを、2号店には飲食店・レジャー店を収容しているほか、3号店がカーサービスを主体としています。また、貸会議室や赤ちゃん休憩室も設置されていることから、地域コミュニティーの中心であると言えます。



2.  1980年代
 国民の生活水準の向上に応じ、良質な住宅環境が求められるようになり、様々なタイプの住宅が建設されるようになりました。

①   タウンハウス諏訪
 住宅公団によるタウンハウスの第一号。58戸の2~3階建ての住宅が連続して並ぶ10棟が、連続する共用庭・路地状のコモンスペースを囲む配置構成をとり、各住戸には共用庭を通りアクセスします。敷地内には自動車が進入せず、安全な空間をつくりだしています。販売価格が2,700万円と当時としては高額でしたが、現在は建設当時に植えられた樹木や居住者自らが植えた樹木が生長し、雰囲気が高まっています。当時の応募倍率は約60倍。


②   永山の戸建住宅
1979年3月に改正された「多摩ニュータウンにおける住宅の建設と地元の行財政に関する要綱」を受け、多摩ニュータウンでも全体戸数の約10%以内において戸建住宅が取り入れられるようになりました。分譲にあたって、良好な街並みの誘導を図るために建築協定が締結されました。1979年6月の分譲では、強い庭付き住宅志向から応募は大盛況となりました。


3.  1990年代
 多摩センターの発展とともに吸引力を失いつつあった永山地区では、永山駅周辺を複合センターとして改めて位置づけ、施設誘致を図ることとなりました。

①   ベルブ永山
図書館・公民館などの行政サービスと事業所からなる複合施設。1997年開業。

4.   2000年以降
 事業着手以来約四半世紀が経過し、これまでの大量供給のための経済性優先の開発手法や短期的な大量入居による急激な市街化などを要因として新たな都市問題が生じ始めました。公団はこれらの問題に対処するため、新たな試みを実施していくこととなります。

①Brillia多摩ニュータウン
 多摩ニュータウンで初めて建て替えが行われた団地。戸数を倍増させたことで、住民1人あたりの負担を軽減したため、大部分の住民の賛同を得て「建替え決議」が採択されました。また、建て替え中での仮住まい生活でも人々の繋がりが希薄にならないようにと頻繁に住民交流の場が設けられたことも住民の不安の解消につながりました。







Ⅱ.貝取・豊ヶ丘地区
 1976年入居開始。貝取・豊ヶ丘地区は、ベデストリアンデッキを骨格として設計されており、豊かな緑と広々としたオープンスペースが特徴となっています。

1.  1970年代
 生活水準の向上に伴い、住宅環境においても「量より質」が求められるようになりました。そのため、住宅面積規模は3LDK・4LDKが基本とされ、住戸面積は70㎡を超える規模となりました。

2.  1980~90年代
80年代前半に、地区北側では尾根を残し自然地形を生かした傾斜地住宅が建設されました。グリーンヒル貝取はその一つ。
 80年代後半以降は、大量供給の反動から、集合住宅では相当数の空家住戸が生じたため、タウンハウスや高齢者住宅など新たな住宅形態の供給が試みられることとなります。それに加え、バブル経済による地価高騰から住宅市街地の郊外化が一層進み、相対的に多摩ニュータウンの住宅需要も高まりました。




 Ⅲ.鶴牧・落合地区
 1981年入居開始。落合・鶴牧地区では空間構造の体系化を図り、「基幹空間」を設置しました。基幹空間は周辺の住宅地計画や景観性を考慮して、4つの近隣公園とペデストリアンデッキを連続して配置し、全体としてまとまりのあるオープンスペースを創出しまし。このオープンスペースは、1984年に日本都市計画学会設計賞を受賞しています。

1.  1970年代

①南野給水所
 地下水に依存していた多摩地域では深刻な水不足に陥っていたため、1963年に東京水道局が事業主体となって市町村水道に浄水を分水することが決定されました。実際に給水方式が検討されたのは、1965年のマスタープランからで、地元市町による一部事務組合方式で共同運営することを前提とし、主として高台に設けた配水池から自然流化により給水する方式が計画されました。最終的には、利根川水系の朝霞浄水場の用水と、多摩川水系の小作浄水場系の浄水を4か所で受水し、多摩・多摩稲城・八王子・稲城の4系統に分けて給水されています。


2.  1980年代
①エステート鶴牧
 一部住居では、多摩ニュータウンで最初のメニュー方式による2階建テラスハウスや、プランメニュー方式による中層住宅となっています。


②多摩中央公園
多摩ニュータウンの中心的・象徴的公園として1986年に開設。多摩センター駅とは40mのメインプロムナードで繋がっています。また、公園内に立地する複合文化施設「パルテノン多摩」は、郷土資料館・市民センターの機能を持っており、様々なイベントの会場にもなっています。
メインプロムナード

多摩中央公園
パルテノン神殿の前で集合写真を撮影。


③多摩センター
1975年10月に小田急多摩線が多摩センター駅まで開設したことを契機に、多摩センターの都市基盤施設整備が進みました。特に、1985年の新住宅市街地開発法の改正によって、新宿から電車で40分の立地をメリットとしてとらえ、ベネッセを初めとする多くの企業が多摩センター地区へ移転しました。また、同時にレジャー施設の開発も進み、1990年にはサンリオピューロランドが開業しました。
多摩センター駅

ベネッセビル

サンリオピューロランド


④プロムナード多摩中央
 多摩センター駅から多摩中央公園を横切った最初の住宅地。プロムナードに沿った1階部分には、ホビーやクラフトのアトリエとして使われることを意図したフリースペースをもつプラスワン住宅が配してあります。
  住戸規模・住戸プランとも、そのバリエーションは豊富であり、住み手の要求に選択肢の巾を拡げるものでした。しかし、フリースペースの使われ方は、募集方法や住要求への対応などの問題によって当初の意図どおりにはいかず、プライベートな使われ方により窓がカーテンで遮られたものが目立ちます。


⑤丘の上プラザ
1980年に駅前広場とペデストリアンデッキが一部供用開始されたのに合わせて、同年オープンした商業施設。商業棟と銀行棟からなり、キーテナントにはイトーヨーカドーが、その他37のテナントが入りました。

3.  2000年以降
①多摩都市モノレール
 1998年に上北台駅~立川北駅間が部分開業し、2000年には多摩センター駅までの全線が開業しました。開業前はモノレールの全線開業により、大規模商業施設が立地する立川へ多摩センター商圏からの消費者流出が懸念されましたが、次第に降車客数が乗車客数を上回るようになり、その推移に併せて多摩センターにおける商業施設の売り上げ、来場客数が増加しました。



Ⅵ.堀之内・別所・南大沢地区
1.  1980年代
①京王相模原線京王堀之内駅
1988年、京王相模原線京王多摩センター-南大沢間延伸と同時に開業。なお、京王相模原線全通は橋本駅付近の用地買収の難航により1990年に。

②南大沢駅
1988年開業。南地区と北地区で異なる性格で構成されています。
・南地区:「地域居住者の生活に密着する地域の核としての生活、文化エリア」
・北地区:「都市の活力を高め、高次化を図るための活力、創造エリア」
また、南北をつなぐ歩行者専用道路や中郷公園などを整備しています。


③ベルコリーヌ南大沢
 プロムナード多摩中央と同様にプラスワン方式が採用されています。南大沢駅から徒歩10分の立地や子育てのしやすさ、買い物の利便性などを売りにしています。

2. 1990年代
①ライブ長池
 1990年3月入居開始。「駅前の都市的エリアと長池公園の自然環境、それをつなぐせせらぎ」をコンセプトとしています。街のあちこちに地中海を感じさせるデザインが散りばめられているなど、街全体のトータルデザインが特徴。2001年、「美しいまちなみ大賞」受賞。

②ビア長池
1990年本館開業。三和を中心に、量販店や銀行、郵便局、クリニックなどが入っています。駐車場は675台収容。ガウディ調に仕上げられた建物は、地中海の都市から取り寄せた焼き物や色タイルが散りばめられているばかりでなく、タイルの乱張りに美大のアルバイトを動員するなど細やかな工夫がなされています。

③長池見附橋
長池見附橋は、都内最古の鋼製陸橋であった四谷見附橋の架け替えの際、歴史的にも文化的にも貴重な旧橋を保存するために移設・復元された橋長37.6m、幅員17.4mの通路橋である。


④首都大学東京(旧東京都立大学)
 目黒キャンパスが手狭で老朽化したため移転が必要となり、1991年に南大沢駅北側の広大な用地(42ha)に開校しました。

3. 2000年以降
①長池公園
1970年都市計画を決定し、2000年に自然保全型の総合公園として開園。コンセプトは「里山文化の継承と創造」にあります。NPOと株式会社合同で管理運営を行っています。

②ぐりーんうぉーく多摩
2007年開業。ホームセンター、量販店、衣料品店、飲食店などが30店舗程度が入っています。駐車場は2123台収容。


いかがでしたか?多摩ニュータウンは、ひとつのニュータウンといっても、地区によって開発された時期が異なるため、住民のニーズに合わせて街並みや住宅機能が変化している点が面白いところであります。他のニュータウンと比較をしてみるのも良いかもしれません。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました!



☆参考文献

・壽圓 晋吾 1988『多摩丘陵西部の地質と地形的問題』「立正大学文学部研究紀要」
・羽鳥謙三・寿円晋吾他1958『関東盆地西縁の第四紀地史(I):多摩丘陵の地形発達』「地質學雜誌」64,pp.181-194
・菊地隆男 1984『丘陵の地層-3 多摩丘陵-上総層群とその堆積環境-』「アーバンクボタ」No.23,pp.40-43,久保田鉄工
・松田磐余2013『江戸東京・横浜の地形』之潮
・貝塚爽平2012『東京の自然史』講談社(原本は1979『東京の自然史〈増補第二版〉』)
・杉谷隆・平井幸弘・松本淳 2005『風景のなかの自然地理』古今書院
・貝塚爽平・小池一之・遠藤邦彦・山崎晴雄・鈴木毅彦2000『日本の地形―日本の地形4 関東・伊豆小笠原―』東京大学出版会
・編集委員会編 1997『新版 東京都 地学のガイド―東京都の地質とそのおいたち―(地学のガイドシリーズ 13)』
・西浦定継 2007『尾根幹線はなぜあんなに広いの?』「多摩ニュータウン研究」No.9
・今尾恵介 2012『第7回謎解き多摩ニュータウン : 蔵出し資料を読む 地図で楽しむニュータウン開発史』「多摩ニュータウン研究」No.14
・加藤輝雄 2014『歩み始めた新生諏訪2丁目住宅=Brillia多摩ニュータウン : エ事着工から入居まで(報告最終回)』「多摩ニュータウン研究」No.16
・林浩一郎 2013『多摩ニュータウンの中心と周縁―新文化都市開発の都市政治―』「関東都市学会年報」No.15
・週刊東洋経済 2011『老朽化マンションの建て替え問題―多摩ニュータウン再生に学ぶ住民合意までの決断と紆余曲折』
・都市再生機構2006『多摩ニュータウン開発事業誌: 通史編』都市再生機構東日本支社多摩事業本部
・上野淳・松本真澄 2012『多摩ニュータウン物語―オールドタウンと呼ばせない』鹿島出版会
・多摩市文化振興財団 2011『航空斜写真で見る多摩ニュータウン:パルテノン多摩収蔵写真資料集』
・京王電鉄ホームページ 京王電鉄50年史第3部 企業体質の抜本的改善とグループの再編成第2章首都圏の大動脈へ2.相模原線全通(1986~1998) http://goo.gl/9LsAbX
・新都市センター開発株式会社 ビア長池 http://goo.gl/1WUJ8N
・多摩ニュータウンタイムズ 大型店の激戦続くニュータウン http://goo.gl/w5cqDT
・八王子市長池公園概要・東京都基盤整備公団東京支社多摩ニュータウン事業本部 2001 『多摩ニュータウン橋梁景観事例集』http://goo.gl/Tvo6Wp
・東京都多摩都市整備本部『多摩ニュータウン30年の歩み 過去から現在そして未来へ』


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