2015年6月7日日曜日

世田谷巡検 


こんにちは。今回は、遅ればせながら6月7日に行われた世田谷巡検の模様をお伝えします。
等々力エリア~二子玉川エリア~世田谷エリア~代田・下北沢エリアを一日かけて巡る、盛り沢山な巡検でした。

等々力渓谷

等々力渓谷は、渓谷内に源流をもっていた矢沢川が、国分寺崖線を侵食して刻まれたと考えられています。

矢沢川が北側に谷頭浸食をすすめ、さらにその北側を東西に流れていた九品寺川にぶつかり、河川争奪が起こりました。矢沢川は九品寺川の水量を奪ったことで、侵食に勢いが増し、高低差がおよそ20メートルもある渓谷となりました。

不動の滝付近では、武蔵野台地の断面図が確認できます。
上から関東ローム層~礫層~粘土層と確認できました。東京の大地が海底から陸にあがってできてきたことがわかります。

二子玉川

江戸時代から二子玉川は、多摩川を利用した水運や漁業の盛んな農村地帯でしたが、風光明媚な土地柄や、交通アクセスの良さを生かして大きな商業エリアへと発展してきました。
 
二子玉川駅東口の再開発が行われている地区は、玉川第二遊園地~二子玉川園~二子玉川タイムスパーク~二子玉川ライズ と展開してきた面白い地区です。 現在の二子玉川ライズは、オフィス、シネコン、商業施設、タワーマンションを併設した複合施設です。
 

松陰神社

かの有名な吉田松陰を祭神とした神社です。松陰は江戸伝馬町で処刑され、その地に葬られた4年後、彼の門下生の高杉晋作や伊藤博文らによって世田谷若林に改装されました。その後、明治時代に松陰門下の人々によって墓の東側に築かれたのが松陰神社です。
 
境内には当時の松下村塾のレプリカや、吉田松陰の坐像もあり、厳かながら親近感の湧く神社でした。



松下村塾のレプリカ。正面左側に大河ドラマ「花燃ゆ」のポスターが。



 

世田谷城址公園

古くから「世田谷」の地名が残る、現在の世田谷市役所付近を通り、世田谷城址公園へ。世田谷は、鎌倉へと至る街道の宿場であり、今もその名残で入り組んでいます。
 
世田谷城は、室町時代の初期に吉良氏が拠点として築きました。お城といっても、中世のお城であるので、一般的に想像するような城郭とは異なり、草葺や板葺のものだったと想像されます。しかし防御機能は、台地や川などの地形を最大限に利用して、確保されていたようです。
現在の世田谷城址公園は、世田谷城の南端を整備してつくられました。
 

豪徳寺

豪徳寺は、吉良氏の第四代の吉良政忠が叔母を弔うために世田谷城内に建立した弘徳庵を起源としています。その後廃れてしまいますが、彦根藩の井伊直孝が再興し、菩提寺としました。そして、この菩提寺となったきっかけが「招き猫伝説」であると語り継がれています。そのため豪徳寺は招き猫の発祥ともいわれ、非常にたくさんの招き猫がおかれています。
 
 
招き猫の群れ。思ってる以上にたくさんいます
北沢川緑道。その名の通り、北沢川の暗渠上を緑道にしている。
 
代田の丘61号鉄塔。萩原朔太郎はこの鉄塔の下に住み、作品にも登場させた。
 


世田谷八幡宮

世田谷八幡宮は、源義家が後三年の役の戦勝を記念して建てたとされています。
この八幡宮は、奉納相撲でよく知られていおり。江戸時代には渋谷氷川神社、大井鹿島神社とならんで「江戸三相撲」のひとつに数えられていました。現在でも、毎年九月の例大祭で奉納されています。

北沢八幡神社

森厳寺にも行く要諦だったのですが、17時に閉まってしまい、泣く泣く断念。
北沢八幡神社が、吉良頼康によって勧請されたそうです。この神社は九月の第一土曜日、日曜日の例大祭が有名です。二日目の昼から夜にかけて、町内を練り歩いた二〇台近くのお神輿が次々と到着する姿は圧巻だそう。
 

森厳寺川

北沢川の支流のひとつで、現在は暗渠となっており、下北沢駅付近では駐輪場や遊歩道として利用されています。
 
暗渠の森厳寺川
 

下北沢一番街商店街 ほか

下北沢は、井の頭線の開通によって、農村から商業地へと成長しました。五つの商店街はそれぞれ個性的な特徴を持っており、現在のおしゃれで賑やかなイメージを生み出しています。たとえば一番街には老舗が多く、南口商店街は大規模人気店が出店しており、下北商店街には古着屋や雑貨屋が集中しています。地理研メンバーも、個人的にまた訪れたいと口をそろえておりました。

下北沢駅前食品市場

ここは戦後の闇市の名残と言われており、実際にバラックやブルーシートでおおわれている個所がありました。今後「交通広場」に再開発されるため、三分の二ほどが解体されてしまいましたが、いまも立ち飲み屋や青果店、乾物屋、衣服店などの個人店舗が店をあけています。
 

下北沢の開発

その1 小田急線 東北沢~世田谷代田間の複々線化事業
 2013年に地下化が達成され、9つの「開かずの踏切」が解消されましたが、今後緩行線と急行線のふたつのトンネルを設けることで、所要時間の短縮、列車増発による混雑緩和などが期待されています。
 
その2 下北沢再開発計画
 かつて小田急線の線路だった地区を三つのテーマに沿って街づくりをすすめる計画です。
 
その3 補助線街路第54号線と下北沢
 補助線街路第54号線とは、渋谷区富ヶ谷2丁目から世田谷区祖師谷5丁目までの約9キロの道路です。下北沢地区の東西移動の円滑化や、防災・減災、快適な歩行ネットワークの充実、景観に配慮した空間の確保を目的として昭和21年から計画が持ち上がっていました。しかし、再開発が進められることで、入り組んだ路地に個性的な商店が並ぶ「シモキタ」の魅力が半減したり、高いビルの建設により下北沢独特の景観が失われてしまうことが懸念されています。
 

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