去る12月6日、調布巡検が行われました。
3年生の引退で参加人数が減ると思いきや、交流を続けている「東京大学地文研究会地理部」さんから13人、「早稲田大学歴史文化研究会」さんから1人の方が参加され、計34人(!)という新歓の時期にもなかったような大所帯で巡検をすることになったわけです(もはや遠足)。知識の豊富な方々を、初ナビゲーターの1年生が僭越ながら案内させていただいた調布巡検について、早速見ていきましょう!
調布市の概要
調布市は、東京都のほぼ中央、多摩地区の南東部に位置します。京王線の特急で新宿まで15分とアクセスが良いため、住宅地として発展し、人口は222,623人(2015年11月1日現在)と東京都の市部では、八王子市、町田市、府中市に次いで4番目に多い都市となっています。
調布という地名は、かつての租庸調制の調(土地の特産品を納めるもの)として、多摩川の水で晒した布を納めていたことに由来します。江戸時代に甲州街道の宿場町となり、大正時代に現在の京王電鉄が開通してからはベッドタウンとして発展してきました。
調布市の地質(今回のテーマです!)
調布市の地質は大きく、多摩川低地、武蔵野台地の立川面、武蔵野面に分かれます。多摩川低地と立川面との間には府中崖線、立川面と武蔵野面との間には国分寺崖線が走り、今回の巡検では両方の崖線を見てきました。
それでは、集合場所の京王線つつじヶ丘駅から巡検はスタートです!
つつじヶ丘駅
金子駅として1913年に現在地より北側の甲州街道上に開業しました。1927年に移設され、1957年に現在名に改称されました。京王電鉄は2009年よりエレベーターの設置などバリアフリー化を目的とした駅改良工事を行っており、つつじヶ丘駅も2011年に橋上駅舎化されました。
滝坂
国分寺崖線と甲州街道が交差する位置にある標高差約10mの坂です。大雨の際に雨水が路上を滝のように流れ下った、あるいは馬が滝のような汗を流して坂を上ったことから、この名がつけられました。滝坂は1923年に新たに作られましたが、旧坂も現存しています。
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| 旧滝坂の上には馬宿の碑が残っています。 |
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| こちらが現在の滝坂です。 |
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滝坂の南にある売地(うりち)の坂は、かつての線路跡を利用しており、
盛り土がなされた頂上部分は急勾配となっています。 |
キユーピー仙川工場
1951年に設置された工場は、10年間本社機能を担うなど会社の中心となる工場でした。近年もキユーピーマヨネーズの2割を生産していましたが、老朽化を理由に2011年に閉鎖されました。工場跡地には、研究機能とオフィス機能を持つ仙川キユーポートが2013年に新たに作られ、翌14年には、同地にマヨネーズを学べる見学施設「マヨテラス」が開業しました。
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| 2013年に完成した仙川キユーポートです。 |
入間川暗渠と京王つつじヶ丘住宅
入間川は源流から甲州街道との交差地点まで暗渠化されており、一部は上を歩くことができます。途中で入間川から分岐する仙川用水も同様に暗渠化され、地上部は遊歩道として整備されています。川と用水に挟まれた谷底の地域は水田として利用されましたが、1960年代初頭に京王電鉄の手によって「京王つつじヶ丘住宅」と名づけられた分譲住宅となりました(谷底なのになぜ丘なんだ!)。つつじヶ丘駅が金子駅から改称したのもこの時期です。
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| 入間川の暗渠にいざ出発! |
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| 図に描かれたエリアが「京王つつじヶ丘住宅」です。 |
実篤公園
作家・武者小路実篤(1885-1976)は、水のあるところに住みたいという子供の頃からの願いを叶え、晩年の20年間を調布で暮らしました。実篤の死後、遺族によって調布市に寄贈され、公園として整備されました。敷地は国分寺崖線を跨ぐように広がっているため、湧水が発生し池を作っています。
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| 武者小路実篤記念館前で地理研のメンバーで記念撮影 |
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| 公園内では、見事な紅葉が見られました。 |
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公園の一角では、黄金色に光るヒカリモを見ることができ、都内唯一の公開生息地となっています。
5月~9月ごろの晴れの日には、鮮やかな美しい色に光ります。(7月12日撮影) |
入間川分水路
2005年9月4日の集中豪雨によって、入間川流域で100棟を超える浸水被害が発生しました。水害後、安全性を高めるために分水路の設置が計画され、2013年に完成しました。分水路は、入間川と入間川が流れ込む野川との間をショートカットするように作られ、大雨時だけ水が流れる仕組みとなっています。
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| 取水口にある入間川分水路の説明 |
つつじヶ丘駅に戻った後、京王線・京王相模原線に乗って京王多摩川駅へ移動しました!
京王閣
1927年に現在の京王電鉄によって、レジャー施設として開園しました。大浴場、遊園地などを備え、関東の宝塚とも称されましたが、戦争の影響で1947年に閉鎖されました。跡地には、1949年に京王閣競輪場が開設され、開催日には多くのファンで賑わっています。
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| 巡検の日と競輪の開催日が重なりましたが、競輪場の入口はなぜか静かでした… |
京王遊園
京王閣の閉鎖後、1955年に京王電鉄によって再び遊園地が作られました。1959年にはプールもオープンし、人気施設となりましたが、1971年に遊園地の営業が終了し、プールも1990年代初頭に閉鎖されました。遊園地の跡地はテニスコート(現在の京王テニスクラブ)となり、プールの跡地は宅地化されました。
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| 京王遊園の跡地に作られた京王テニスクラブ |
角川大映撮影所
1933年に日本映画株式会社が多摩川スタジオとして建設しました。当時のフィルムの撮影・現像には、澄んだ空気ときれいな水が必要だったため、都心へのアクセスが良い割に、空気が汚れておらず、良質な地下水も手に入る調布が選ばれました。1953年には市内に日活の撮影所も作られ、調布市は「東洋のハリウッド」とも呼ばれる「映画のまち」になりました。
最盛時には現在の5倍以上の敷地がありましたが、撮影技術の進歩から広大な敷地を持つ必要性がなくなり、1974年に東京都に敷地を大幅に売却しました。旧敷地には、調布南高校や住宅地が作られています。
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| 撮影所前の大魔神もクリスマス仕様です。 |
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撮影所の近くの公園には、「映画俳優之碑」があり、
撮影所に関係のある著名人の名が刻まれています。 |
府中崖線
角川大映撮影所の北側には府中崖線が走っています。撮影所の旧敷地は崖線を跨いでいたことから、地下水を得るための立地だったことがうかがえます。京王相模原線は、この標高差を利用して地下から高架になります。
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| 多摩川低地から武蔵野台地に上がります。 |
調布駅付近連続立体交差事業
京王線の柴崎駅~西調布駅間約2.8kmと相模原線の調布駅~京王多摩川駅間約0.9kmの区間を地下化することによって、18箇所の踏切道の解消、8箇所の都市計画道路の立体化が計画されました。地下化は2012年に行われ、国領駅、布田駅、調布駅は地下駅となりました。線路跡は緑道、自転車駐車場、商業施設などの整備が計画されています。
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| 相模原線が地下から地上に出る部分です。 |
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調布駅西の踏切跡から
左側が相模原線、右側が京王線の地上区間跡です。 |
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調布駅前の天神通り商店街の鬼太郎像には、
調布市名誉市民の水木しげるさんの訃報を受けて、
花が手向けられていました。 |
巡検は以上で終了し、調布駅で解散しました! 参加してくださった「東京大学地文研究会地理部」さん、「早稲田大学歴史文化研究会」さんとの交流を今後も続けていきたいと思っております。
ここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました!
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