2016年4月9日土曜日

4/9 新歓早稲田巡検Ⅰ(目白台)

こんにちは。新歓早稲田・目白台巡検を担当したものです。

レジュメを再構成したものにより今回の巡検を振り返ります。

0   地理学とは
 地理学…地表面おけるあらゆる事象を扱う学問。地域差や地域性を重視する。→地理は暗記ではない!
 巡検…地域を見てまわること。エクスカーション、フィールドワーク→実際に見て感じることが重要!

1       早稲田の地誌
○地形:武蔵野台地(山の手台地)と神田川の沖積低地。
    早稲田キャンパス…台地と低地の間の斜面(段丘崖)に立地。
○歴史
・明治時代まで…江戸・東京の郊外地域。田畑が広がる。「早稲田田んぼ」
・1882(明治15)年、東京専門学校設立。…東京の郊外地域
・明治後期以降…東京の人口増加とともに都市化が進む。
・早稲田キャンパス…豊多摩郡→東京市淀橋区 大隈講堂…牛込区

2       大隈記念講堂
 ・1927(昭和2)年竣工のゴシック様式の講堂。国指定の重要文化財。

3       大隈庭園
 ・江戸時代…井伊氏・松平氏の下屋敷。
 ・明治時代~…大隈重信邸・池泉回遊式庭園。大隈没後、大学に寄贈。

4       都電荒川線
 ・1933(昭和8)年、王子電気軌道により早稲田開通。現存する唯一の都電。
 ・三ノ輪橋(荒川区)、王子駅前(北区)、大塚駅前(豊島区)を経て、早稲田(新宿区)に至る。
○都電
 ・かつての馬車鉄道から発展。
 ・1903(明治36)年の東京電気鉄道開業から1970年代初めまで路面電車網が区部において発達。
 ・高度経済成長期、自動車の普及により路面電車が減少。
 ・1972(昭和47)年、荒川線を除き都電全廃。
○荒川線存続理由
 ・線路の大部分が専用軌道
 ・代替バスを運行できる道路の不足
 ・沿線住民の強い存続要望
○東京都交通局早稲田自動車営業所・早稲田アパート
 ・かつての都電早稲田車庫。
 ・跡地を都バス車庫(1階)と都営住宅(2階以上)に転用。
5       印刷・出版業の集積
 ・神田川流域(落合~早稲田~神楽坂~飯田橋)に印刷・出版業が集積。
 →・情報の入りやすさ…出版業は市場の情報や流行に左右されやすく、大都市に近い立地が有利。
            印刷業は出版会社と密接にかかわる必要があり、ともに集積。
  ・地価の安さ…川沿いは災害の危険性が高いため、地価が安い。
 ・出版・印刷業…市場指向型工業・情報集約型産業

6       神田川
 ・井の頭池から流れ出て、武蔵野台地を開析し(台地を削り、谷をつくる)、隅田川に流れ込む。
・都内の中小河川では最大の流域面積。
○河川改修
・以前から大雨のたびに氾濫する暴れ川として知られ、大正時代から河川改修が行われている。
・新宿区と豊島・文京区の境界は旧流路に沿っているため、川が直線化しても境界線は複雑。
・高田馬場駅付近で流路が狭くなっている(高田馬場峡谷)ため、落合~明治通りに地下バイパス(高田馬場分水路)がある。
○神田上水
 ・寛永年間(1624~43年)につくられた日本最初の水道。
 ・江戸の人口増加とともに深刻化した水不足の解決策:関口(大洗堰)から江戸城東地域に水を供給。
 ・関口に堰を置いた理由
  →・下町に水を送るための十分な圧力が得られるから。(十分な標高がある。)
   ・海水が逆流してこないから。(江戸川橋付近まで海水が逆流することもある。)

7       関口芭蕉庵
 ・1677年から3年間、この地に松尾芭蕉が住み、神田上水の工事に携わったと言われている。

8       椿山荘
 ・神田川の沖積低地と目白台(豊島台・武蔵野台の一部)との間にある河岸段丘(段丘崖)に立地。湧水が豊富で、庭園に利用。
 ・南北朝時代より椿の自生地。「つばきやま」
 ・江戸時代…上総国久留里藩主黒田氏の下屋敷。
 ・明治時代…山縣有朋が別邸・庭園として購入。「椿山荘」
 ・戦後…結婚式場・宴会場・ホテル業
 ・三重塔は、竹林寺(東広島市)にあったものを移築。室町末期の建築とさ れ、国の登録有形文化財。

9       水神社
 ・神田上水の守護神を祀っている神社。
 ・上水の恩恵を受けた神田、日本橋方面の人々の参詣が多かったという。
10    胸突坂
 ・豊島台(武蔵野台地の一部)と神田川の低地の急斜面につくられた坂道。
○非対称谷
 ・神田川の形成した段丘崖は北側(左岸)が急斜面、南側(右岸)が緩斜面になっている。

11    新江戸川公園・永青文庫
 ・神田川北岸にある細川家の下屋敷跡。
 ・現在は細川家の家宝を所蔵する永青文庫や回遊式庭園を利用した新江戸川公園が立地。
 
12    旧田中角栄邸・文京区立目白台運動公園
 ・目白御殿と呼ばれたものの一部。
・田中角栄が亡くなった時の相続税を払うために、土地の多くは売却された。その売却された土地のうち文京区に売却された土地と国家公務員共済組合の目白台運動場跡が合わさり、文京区立目白台運動公園が整備された。
・現在も田中角栄の長女・眞紀子と夫・直紀(婿養子)一家の住居。

13    日本女子大学
 ・1901(明治34)年、成瀬仁蔵によって設立。日本初の組織的な女子高等教育機関。
 ・4つの学部と5つの研究科がある。

14    甘泉園公園
 ・新宿区立の公園。
・1774年に徳川御三卿のひとつ清水家の下屋敷がおかれた。
・明治時代に子爵の相馬家(かつての大名家)の所有となったのち、1938(昭和13)年に早稲田大学が譲り受ける。
・かつては湧水が豊富だったが、現在は電動循環流水である。

15    水稲荷神社・富塚
 ・941年、現在の早稲田キャンパス9号館付近に稲荷大神を勧請。
 ・江戸時代には「水稲荷」と呼ばれ、消防関係者や水商売の関係者が参詣。
 ・1963(昭和38)年、早稲田大学キャンパス拡張のため土地交換を行い現在地に遷座。
 ・境内には「富塚」と呼ばれる富士塚がある。「戸塚」の地名の由来になったともいわれる。
○富士塚
 ・江戸時代中期以降、江戸では富士信仰が盛んになり、各地で富士講が組織された。富士登山がかなった一部の人が持ち帰った玄武岩(富士山の火山岩)を積み上げ、模造富士をつくり信仰した。


以上が巡検で紹介したところです。

まだまだ、調べ切れていないものが多数ありますし、発見できていない地域特有のものもあると思います。
今後も勉強の日々です。

早稲田大学地理学研究会 geo.waseda@gmail.com


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