こんにちは。地理研3年の関根です。
4月29日(土)に行われました品川・芝浦巡検の様子をご紹介いたします。
●品川パート
ルート:北品川駅→品川宿→御殿山下台場跡→品川宿本陣→目黒川→品川神社(富士塚)→新馬場駅→品川駅→品川駅高輪口→品川インターシティ→品川シーズンテラス→品川車両基地→高輪橋架道橋
今回の巡検は時系列になるように巡っていきました。
最初に訪れたのは品川宿が置かれた地区です。東海道の第一宿として有名な品川宿です。起点である日本橋からは約8キロありました。現在の京浜急行北品川駅から青物横丁駅までの約2キロにわたって広がっていました。
幕末になると御殿山下台場が置かれました。現在の台場小学校のあたりです。地図で見比べると輪郭が道として残っていることがわかります。
新馬場駅から京急に乗り、品川駅に向かいます。
さて港南口を出て、北に向かいましょう。
●芝浦パート
ルート:田町駅→本芝公園→旧協働会館→ジュリアナ東京跡→芝浦アイランド→レインボーブリッジ→みなとパーク芝浦→msb田町(ムスブ田町)→田町駅
後半は芝浦を巡ります。
田町駅を北に歩いて5分ほどのところに本芝公園があります。ここはかつて雑魚場と呼ばれており、海とつながっていました。
その近くにはジュリアナ東京と呼ばれたディスコ跡があります。バブル期に一世を風靡したこのディスコも今では見る影もありません。
当時の新聞記事によると近くのマンション踊り場で着替えている人がいたために周辺から苦情がきたり、ストリップ劇場と勘違いされることもあったそうです。
4月29日(土)に行われました品川・芝浦巡検の様子をご紹介いたします。
●品川パート
ルート:北品川駅→品川宿→御殿山下台場跡→品川宿本陣→目黒川→品川神社(富士塚)→新馬場駅→品川駅→品川駅高輪口→品川インターシティ→品川シーズンテラス→品川車両基地→高輪橋架道橋
今回の巡検は時系列になるように巡っていきました。
最初に訪れたのは品川宿が置かれた地区です。東海道の第一宿として有名な品川宿です。起点である日本橋からは約8キロありました。現在の京浜急行北品川駅から青物横丁駅までの約2キロにわたって広がっていました。
幕末になると御殿山下台場が置かれました。現在の台場小学校のあたりです。地図で見比べると輪郭が道として残っていることがわかります。
旧東海道沿いには本陣跡もあります。品川宿の本陣は中央に位置しており、参勤交代の諸大名や公家の宿泊・休憩所として利用されていました。現在は公園となっています。1868年に天皇行幸の行在所となったことから聖蹟公園と名づけられています。
次に訪れたのは品川神社。1187年に源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として安房国の洲崎明神の祭神を勧進して創始されました。その後、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣に際して、この神社の参拝して戦勝を祈願しました。その縁もあってか神社の建物は幕府によって行われる「御修復所」の指定を受けました。
境内にある富士塚は1869年(明治2年)に富士講300人によって築かれました。1922年に第一京浜建設の際に現在地に移されました。
記念撮影はここで行いました。
新馬場駅から京急に乗り、品川駅に向かいます。
品川停車場は1872年(明治5年)の6月12日に開業した駅であります。現在に至るまでその位置はほぼ変わっていません。新橋駅は4か月後の10月に開業したため、品川駅は横浜駅(現在の桜木町駅)と並んで、日本で最も古い駅ということになります。その縁もあってかJR品川駅の5番線と12番線では鉄道唱歌の発車メロディーが流されています。
明治から戦前まで品川駅の西側には、皇族方の宮邸が広がっていました。高輪の高燥な土地には、江戸期に薩摩藩主島津家の大名屋敷が広がっていたが、明治期に御用邸として買収されました。
戦後はいずれも売却され、竹田宮邸はグランドプリンスホテル高輪、北白川宮邸はグランドプリンスホテル新高輪、毛利邸はグランドプリンスホテル品川になりました。このような変化を経て高輪口はホテルが林立する地区となったのです。
品川駅の東側港南口は全体が埋立地です。その場所に1938年、東京市営芝浦屠場が開設され、戦後も住宅や工場が立ち並ぶ光景が見られました。そのため、都心駅周辺であるにもかかわらず、大きな繁華街もなくオフィス街もない特異な土地利用がされていました。
こうした港南口周辺に大きな変化が訪れたのは1990年代初頭でした。
まず東京都中央卸売市場食肉市場からの出荷が鉄道からトラックなどに変化しました。これにより、市場周辺の輸送ターミナルだった鉄道地一帯が再開発の対象となり、線路が撤去され、「品川インターシティ」へと姿を変えていきました。
さて港南口を出て、北に向かいましょう。
2015年5月に開業した品川シーズンテラスが見えてきます。品川シーズンテラスは、東京都の芝浦水再生センター再構築に伴う上部利用事業として、民間事業者と東京都による日本初の立体都市計画を活用した官民連携事業です。つまり浄水場の上にビルが建っている不思議な場所です。
山手線新駅計画やリニア新幹線計画との連携が楽しみと期待されているオフィスビルです。
再開発進む品川にはこんなスポットもあります。
桁下制限高1.5mという高輪橋架道橋です。高架下マニアにとって聖地と呼べる場所です。
低くて長いガード下も再開発で消滅する可能性があるので、消滅する前に通っておきましょう。
ルート:田町駅→本芝公園→旧協働会館→ジュリアナ東京跡→芝浦アイランド→レインボーブリッジ→みなとパーク芝浦→msb田町(ムスブ田町)→田町駅
後半は芝浦を巡ります。
田町駅を北に歩いて5分ほどのところに本芝公園があります。ここはかつて雑魚場と呼ばれており、海とつながっていました。
その近くにはジュリアナ東京と呼ばれたディスコ跡があります。バブル期に一世を風靡したこのディスコも今では見る影もありません。
当時の新聞記事によると近くのマンション踊り場で着替えている人がいたために周辺から苦情がきたり、ストリップ劇場と勘違いされることもあったそうです。
少し歩くと芝浦アイランドと呼ばれる地区があります。ここは2000年代に開発された再開発エリアの愛称です。再開発エリアは島全体に及び、6万平米という大規模な開発でした。地図を見比べるともともと線路みたいな線が見えます。これは都電が通る軌道であり、ここにはかつて都電の修理工場がありました。そのため今でも芝浦アイランドに通じる橋には当時をしのぶ痕跡が残されています。
みなとパーク芝浦は2014年に完成したばかりの施設群である。もともと東京ガスの研究所が置かれており、ガスタンクも置かれていました。しかし、なぜ東京ガスの土地に港区の公共施設があるのでしょうか。
実は東京ガスの研究所跡地に隣接する港区の土地と交換して、この施設が建てられたのです。
ちなみにみなとパーク芝浦内部では木材が多用されています。これは「みなとモデル」と呼ばれる木材利用促進モデルの一環であり、港区も盛んに宣伝しています。
最後に田町駅前で進む再開発事業を紹介しましょう。
先月に発表されたこの地区の名前は『msb田町』。読み方はムスブ田町です。
『蒸す豚町』ではないので、変換ミスにはお気を付けください。
オフィス棟2棟とホテル棟1棟が建設されています。
完成は2018年度とのことです。
隣の品川地区に負けない場所になってほしいものです。
キャッチコピーにもある「田町の成長曲線は東京で一番だと思う。」に恥じない再開発をしてもらいたいものです。
これにて品川・芝浦巡検の紹介を終わります。
成長著しいこの地区を一度訪れてみてはいかがでしょうか?







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