こんにちは。
新しく地理研の広報となりました2年の和田です。
去る12月10日に、代替わりして初めての巡検が立川で行われたので報告いたします。
巡検は立川駅以北に重点を置いたものとなりました。
【順路】立川駅北改札口⇒ファーレ立川⇒ジャムコ・立飛リアルエステートの工場⇒バスで移動⇒大山小学校付近で下車⇒上砂地区のアメリカ村⇒砂川地区⇒立川防災合同庁舎⇒ららぽーと立川立飛⇒IKEA立川⇒ファーレ立川⇒国営昭和記念公園⇒立川駅北口
今回の巡検では、
立川の歴史は、大きく分けて次のような4つの段階を踏んで展開してきました。
新しく地理研の広報となりました2年の和田です。
去る12月10日に、代替わりして初めての巡検が立川で行われたので報告いたします。
巡検は立川駅以北に重点を置いたものとなりました。
【順路】立川駅北改札口⇒ファーレ立川⇒ジャムコ・立飛リアルエステートの工場⇒バスで移動⇒大山小学校付近で下車⇒上砂地区のアメリカ村⇒砂川地区⇒立川防災合同庁舎⇒ららぽーと立川立飛⇒IKEA立川⇒ファーレ立川⇒国営昭和記念公園⇒立川駅北口
今回の巡検では、
なぜ立川が多摩地域における「県都」となるまでに発展したのか
というテーマの下で、立川の発展の歴史を紐解きながらその理由を探っていきました。
(多摩地域の中心的地域は必ずしも立川ではないという見解を持つ方もいらっしゃるかとは思いますが、その点はご容赦ください。)
立川の歴史は、大きく分けて次のような4つの段階を踏んで展開してきました。
巡検のルートはこの時系列に沿ったものとなってます。
①鉄道の開通
②航空産業の集積
③米軍の駐留
④再開発
北改札周辺から八王子方面を撮影したものです。
①
1889年に甲武鉄道(現在のJR中央線)が新宿-立川間に開業したことにより、元々純農村地帯であった立川の発展が始まりました。その後も
同年8月 立川-八王子間開通
1894年 青梅鉄道(現在のJR青梅線) 立川-青梅間開業
1929年 南武鉄道(現在のJR南武線) 立川まで延伸
と続き、立川は多摩地域西部の各地から鉄道で都心方面に向かう際の合流地点、いわば鉄道の要衝として発展していきます。
不自然に曲がった街路は、立川飛行場の敷地の境がここに存在していたことを伝える名残となっています
②
1922年に立川飛行場という軍用飛行場が開設したことにより、立川は空のまちへと変貌していきます。
1924年に飛行場で初の死亡事故が発生するまで飛行場には柵が設けられておらず、市民は飛行場に気軽に飛行場に立ち入りできる状態でした。市民と飛行場の親近的な距離の近さが、まちの発展の源となったといえるでしょう。
航空機製造に携わる立川飛行機が1930年に立川に移転したことをはじめとして、航空産業関連の企業の工場がここ立川に集積しました。立川飛行機の略称である「立飛」は近年このあたりで開業したららぽーとの店舗名にも使われており、その名残を今に伝えています。
③
太平洋戦争終結後立川飛行場は米軍に接収され、米軍が立川に駐留することとなりました。戦前から続く商業の発展が、米軍基地の存在によってますます著しいものとなったとう良い面もある一方、米兵による犯罪や基地周辺の公害も発生するといった弊害もありました。32年にわたる米軍の駐留は、良くも悪くも立川に大きな影響をもたらしたといえるでしょう。
自治大学前を撮影。
このあたりもかつては米軍基地の敷地内でしたが、再開発によってその面影はまったく感じられません。
上砂町周辺には、米軍関係者の家族向けの住宅が数多く建てられ、現在も一般市民やこの地にとどまった米軍関係者らがそれらの住宅を当時の姿のままで利用しています。
生憎住宅の写真は掲載できませんが、広い駐車場や庭が備え付けられており、まるでアメリカの郊外の住宅地をそのまま移してきたように思われました。すぐ隣には日本の一般的な家屋があり、それらとのコントラストが非常に印象的でした。
④
1977年の米軍撤退後、その跡地の再利用が問題となりました。
大きく分けて、
・政府機関の施設
・大型商業施設
・国営昭和記念公園
・多摩都市モノレール用のレールの敷地
という4つの用途に分かれて再開発が行われました。
都道153号線沿いには、緊急災害時のバックアップとして警視庁や消防庁、災害対策本部の施設が設置されており、立川広域防災基地を構成しています。また、道路の向かい側には立川市役所も建てられています。
このように基地の跡地を整備した大通り沿いに行政機関を集積している光景は、今年の7月に巡検を行った所沢に通じたものを感じます。
1998~2000年にかけて上北台-多摩センター間が開業した多摩都市モノレールは、立川が多摩地域の中心的地域としての地位を固める大きな要因となりました。
南北への移動に関してバス以外の公共機関に乏しかった多摩地域において、南北を結ぶ多摩都市モノレールは開業まもなくして重要な都市軸とみなされるようになりました。
①でも述べたように、もともと多摩地域西部各地からの集客力において立川は八王子と比較して優位の立場にありましたが、多摩都市モノレールの開業はその優位を決定的なものにしました。
再開発でたてられた商業施設「ファーレ立川」周辺には、世界各国のアーティストたちによるパブリックアートが設置されています。
こちらの両断にされた車のアート作品の前面をみたところ、なぜか静岡ナンバーが取り付けられていました。今回の巡検参加者の中に静岡出身の地理研民が数人いたので、うれしい発見となりました。
最後の記念撮影として、今回は多摩都市モノレールのレールを背景にカメラの頭上をみんんで取り囲むという、いつとは違った方法を試してみました。
モノレールが通過するちょうどいいタイミングをはからって撮影しようとしましたが結局上手くいきませんでした…
今回はナビゲーターの田代君がかつての立川を撮影した写真を数多く持ってきてくれました。再開発によって昔の名残を見つけづらくなっているため、彼が持参した写真は参加者の理解の大きな助けになったかと思います。
では、長々とこれまで説明してきましたが以上で巡検を報告を終わらせていただきます。
稚拙な文になって申し訳ありませんが、ご覧になって面白かったと思って頂けたら幸いです。
巡検に関して更に詳細な内容を知りたいと思いになった方は、下に貼り付けてあるリンクから今回の巡検のレジュメをご覧ください。
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