2018年2月8日木曜日

2018/02/04 東京都心ディベロッパー巡検

皆様こんにちは、広報の和田です。

去る2月4日に、約2カ月ぶりの巡検が行われたので報告させていただきます。

今回の巡検は日本橋・大手町・丸の内・銀座という都心部を対象地域として、これらのエリアの開発や街づくりに携わっている不動産会社(ディベロッパー)の開発手法の違いや街・建物の差を読み解いていくことに重点を置いたものとなりました。





【順路】三越前駅⇒日本橋三井タワー⇒福徳神社⇒コレド室町⇒首都高の高架下を通過⇒野村証券本社⇒東京日本橋タワー⇒日本ビルヂング⇒旧逓信ビル跡地⇒東京サンケイビル⇒星のや東京⇒新丸ビル⇒行幸通遊歩道で記念撮影⇒丸の内イルミネーションを通過⇒東急プラザ銀座⇒路地の公道を通って豊岩稲荷神社を参拝⇒GINZA SIX





今回は普段よりも参加者の多い巡検となりました。



【日本橋】

最初は日本橋エリアです。魚河岸があり、江戸時代には五街道の起点として多くの薬種問屋や呉服問屋が軒を連ねる江戸有数の商業地として発展してきました。江戸時代の日本橋は町人地であったという点が今回の巡検のポイントとなります。

三井財閥の礎となった越後屋(三越の前身)が「現金掛値なし」といった当時としては画期的な商法を掲げて日本橋で商売を始めたこともあり、三井財閥の不動産部門にあたる三井不動産が手掛けた建造物や高層ビルが数多くみられるエリアとなっています。





このように歴史の風格漂う日本橋ですが、昭和期からのターミナル百貨店の登場や高度毛経済成長期以後の郊外のスーパーマーケットや大型小売店の浸透によって三越や高島屋などの百貨店の地位は次第に低下していきます。

さらに、元々町人地であることから地権者の所有する敷地が細かく複雑に入り乱れており、地権者たちの合意を形成して大規模な開発を行うことが難しく、後ほど述べる丸の内と比べて日本橋は再開発で後れをとってしまいました。



こうした苦境を乗り越えるべく、先述の三井不動産を主体として「残しながら、蘇らせながら、創っていく」をコンセプトとした日本橋再生プロジェクトが始動しました。

このコンセプトは簡単に説明すると、日本橋の重要文化財や歴史あるビルを生かしつつ(残す)、福徳神社や緑など日本橋が本来持ち合わせていた要素を再生させ(蘇らせる)、コレド室町といった大規模ビル開発により商業面とオフィス街としての面を強化させた街にしていく(創る)ことを目標としています。


福徳神社周辺は植樹がなされており、これも日本橋における緑の再生の一環として行われています。




コレド室町は、三井不動産が開発を手掛けて2010年に竣工した複合商業施設です。この施設では敷地の地権者である老舗店(例えば「日本橋だし場」を出店している鰹節メーカー「にんべん」などがそれに当てはまります)を一階部に組み込むことで、大規模ビル開発のネックとなっていた地権者との折り合いに成功しています。

さらには、日本橋が担ってきた日本の伝統文化の発信をコンセプトとしたテナントのおかげで日本国内や海外からの旅行客にとっては嬉しい商業スポットとなっており、これも日本橋の商業機能の強化に貢献しています。






まとめとしては、依然として入り組んだ街路や小さなテナントが軒をつらねていることからネックが完全に克服されたわけではありませんが、伝統との共生を目指した街づくりを通して少しずつ改善や再生に向かっているといえるでしょう。






ちなみに、三井不動産とは対照的に積極的な緑化は行わずに青黒い窓ガラスで壁面を統一させたビルの開発を特徴としているのが住友不動産です。手掛けたマンションは一度ではなく少しずつ売ることで賃貸料を維持させるといった企業努力を通して高い利益率を生み出しています。




【大手町】

大手町は東京駅から見て北西部に位置し、マスコミ関係の多くの企業が本社を置いています。半蔵門線・丸の内線・東西線・千代田線・都営三田線の5つの地下鉄が通っているため、地下鉄のアクセスが大変良好なエリアとなっています。丸の内と異なり様々な事業者が入り乱れて開発が行われているのが特徴です。

このように日本経済の中枢を担っていた大手町ですが、建物の老朽化が進み、更に2000年以降品川や汐留とのエリア間競争が始まって大手町再開発は急務の課題となりました。しかし個々の敷地に余裕がないことや、大規模な建て替えはマスコミなど24時間稼働型企業の活動に支障が出てしまうという制約が立ちはだかります。

そのため大手町の再開発では連鎖型都市開発という手法が用いられました。これは、合同庁舎跡地などの移転建て替え用地で新しいビルが建設されている間は既存のビルを継続して使用し、新しいビルが完成次第そちらにオフィスを移転するということを大手町エリア内で段階的に連続して行っていく手法です。

詳しくはUR都市機構が公開しているこちらのページをご覧ください。リンクを貼りました。
http://www.ur-net.go.jp/otemachi/pamph2_j/book.pdf


この手法によって、大手町に本社を置いている企業は業務活動を継続したまま建て替えを行うことができるようになりました。





現在予定されている大手町再開発の中でも最大のものとしては、大手町連鎖型都市再生計画の第4次最終事業として「常盤橋街区再開発プロジェクト」が計画されています。こちらの再開発は「丸の内の大家」である三菱地所が手掛けています。この計画は、下水ポンプや変電所といった敷地内の重要インフラを更新つつ、現在も残っている日本ビルヂングと同じ位置に390mの超高層ビルを建設し、他のオフィスビルとの間に大規模広場も設けるというものです。


大阪のあべのハルカスが建設されるまでは日本一高い建造物であった横浜のランドマークタワーの設計に三菱地所が関わっていたことをふまえると、「日本一の高さ」という称号の奪還にかける三菱地所のプライドのようなものを感じてしまうのですが、まあこれは邪推というものでしょう。いづれにせよ東京駅からのアクセスは至便なので、これだけの高さでもテナントオフィスの需要は十分見込めることが予想されます





こちらは星野リゾートが運営する「星のや東京」です。こちらも大手町連鎖型都市再生計画の第3次事業として2016年大手町に建設されました。こちらも開発事業者として三菱地所が携わっています。玄関で靴を脱いで畳にあがるなど日本の伝統的文化をコンセプトとしたホテルということで、一時期テレビで取り上げられていました。

このホテルの建設は、後にも述べますが三菱地所が目指す丸の内並びに隣接する大手町エリアの商業機能拡大計画の一環を担うものとなっています。




【丸の内】

東京駅西側に位置するエリアで金融関係の本社が集まる日本経済の中心です。江戸時代には武家屋敷が立ち並んでいましたが、それらの土地を三菱財閥の二代目総帥である岩崎弥之助が買い占めたことをきっかけとして三菱グループの本社が集積するようになり、「三菱村」と称されるまでになりました。丸の内の高層ビルの開発は主として三菱グループ系列の三菱地所が手掛けており、したがって三菱地所は通称「丸の内の大家」と呼ばれています。


三菱財閥への売却の経緯をより正確に述べると、丸の内は元々あった武家屋敷を取り壊して一度官有地となっており、1890年に払い下げられるまでは陸軍の練兵場・兵舎として利用されていました。地権者が政府であることから交渉先が一括されており、結果として丸の内が日本橋や後ほど述べる銀座と比べて大規模開発の面で優位に立つことにつながりました。



1963年に容積地区制度が創設されるまでは、建築基準法によって建築物の高さは31mに規制されていました。これによって大手町や丸の内といった都心部では基準に合わせたビルが連続する形で建築され、景観に配慮した水平的なスカイラインが形成されました。

しかし一方で、都心部では収益率を上げるために各階の天井高を低くして同じ高さの中に現在よりも多くの階を詰め込んだビルが建築されることとなり、防災の面やオフィスで働く従業員の健康という面で悪影響が生じ、規制が見直されるようになりました。




こちらは三菱地所が所有する大手町ビルヂングで、規制が見直される1963年より前の1958年に竣工されました。写真からもうかがえるように、各階の天井高が現在よりも低く設計されています。


1963年以後は、高さではなく容積率(建築物の延べ床面積に対する敷地面積の割合)による規制が導入されました。これにより、各階の天井高や床面積を調節することで高さ31mを超えるビルを建設することが可能となりました。



それはさておき、2000年代までは高さのそろった低層ビルが依然として並ぶ丸の内でしたが、1990年以後エリア間競争に後れをとったことを契機に再開発が急務の課題となりました。









2002年に特別容積率適用制度が創設され、丸の内・大手町・有楽町の都心エリアに適用されました。これは敷地ごとではなくエリア内全体で合計した場合に容積率の規制がクリアできていれば良しとする制度であり、丸の内の場合は3階部分を増設してもなお余りあるJR東京駅の容積率を丸の内エリア内の他の敷地に譲渡することで超高層ビルの建設も可能になりました。


丸ビル・新丸ビルをはじめとして、丸の内エリア内の
建て替えられたビルは東京駅など容積率の余りのおかげで高層化することに成功しています。



三菱地所は、丸ビル休日は丸ビル、新丸ビルといった老朽化したビルを建て替え、その低層階にアパレルショップ、レストランを誘致するというエリアマネジメントを行いました。さらに誘致したレストランの営業時間延長やエリアを巡回する無料バスの整備も行い、丸の内エリアの商業機能強化に努めました。




丸の内仲通りの再開発も商業機能強化の一環です。かつては銀行の店舗が並んでいましたが、ブランドショップをビルの地上階に誘致したりイルミネーションを設けることにより、休日もショッピングや観光で人があふれるスポットに変貌しました。





これにより銀座と丸の内を結ぶ歩行上の動線が生まれ、丸の内や大手町の休日の通行量も増加しました。星のや東京の大手町での建設は、このような丸の内・大手町エリアの商業機能の強化の取り組みや通行量増加を前提として行われたものと考えられるでしょう。





行幸通遊歩道で集合写真。3年かけて去年12月に丸の内駅前広場が完成し、今回の巡検は参加者が多いこともあって集合写真が様になっていますね。




大手町・丸の内エリアのまとめとしては、ビジネスパーソンのためだけの古いオフィス街で休日は人影がまばらであったこのエリアは、元々官有地であるゆえの再開発の容易さ、そして三菱地所のエリアマネジメントによって商業機能が強化され、休日も観光やショッピングで人が楽しめる街へと変貌しつつあると言えるでしょう。


【銀座】

最後は銀座エリアです。世界的にも有名で日本有数の商業集積地であるこのエリアの地名は、1612年に駿河から移転にしてきた銀貨鋳造所、銀座役所に由来します。幕府に出入りする御用達の町人地として発達し、武家地の京間120×120間より狭い60×60間ごとに格子状に区割りされました。

その結果現在にも残る複雑な路地が生まれました。外部からやってきた者が戸惑いと同時に魅力を覚える空間が醸成されるという良い側面もありますが、と同時に地権者が細かく入り乱れて大規模再開発が難しいという日本橋と同様の構造的問題が発生しました。


ブラタモリでも紹介されていた、公道となっている銀座の路地裏を通ってみました。途中カフェを通過した際にモスキート音が聞こえました。おそらくネズミ除けのために設置しているのでしょう。


豊岩稲荷神社も通過する際に参拝しました。





銀座エリアから往来が激しくなり、ナビゲーターについていくのが大変になりました。



我らが地理研同様、テナントに対して「来るもの拒まず、去るもの追わず」というスタンスをとっている銀座エリアには、高級ブランドショップのみならず本屋やユニクロ、銀行に携帯キャリア会社など様々な企業が出店していることがこの写真から見て取ることができます。

地区計画としてこのあたりでは「銀座ルール」というものが適用されています。これは56m以上の高さの建造物の建築を規制するというルールであり、銀座に超高層ビルがない要因の一つになっています。既存のビルがある程度高さがそろって並んでいるようにみえるのもこの影響かと思います。



最後に、今回の巡検の最終目的地となったGINZA SIXについて述べさせて頂きます。

去年の4月にオープンし、「銀座最後にして最大の再開発」としてメディアに大きく取り上げられていたGINZA SIXには化粧品やファッションの高級ブランドショップが出店しており、銀座最大の商業施設となっています。去年の5月上旬に行った銀座線ウォークの途中で通りかかったときにはすでに完成していましたが、巡検として内部に潜入するのは今回が初めてかと思います。




GINZA SIXの開発を担当したのは、「六本木の大家」こと森ビルです。東京タワー巡検でも東京タワーが正面に見られるように六本木ヒルズを再開発したという文脈で森ビルが紹介されていました。このようにディベロッパーの中でも街づくりに積極的な森ビルは、建造物においても丸みを帯びたつくりや庭園の中に段差のある人工歩道を設けるなど特徴的な不動産を開発することが多いです。つまづきそうなくらい気づきにくい段差もありますが…

2002年の時点では森ビル並びに松阪屋は超高層ビルを建設する構想を立てていたようですが、先ほど述べた「銀座ルール」に地区計画の制定が先行したため建設には至りませんでした。



GINZA SIXは大丸松阪屋百貨店をはじめとして17もの地権者からなる2つの街区を一つの敷地として統合して建設されたました。そのため元々2つの街区を隔てていたあづま通りは廃道になるものの、敷地内道路として残し、その分三原通りを拡幅することで廃道で失われる公共空間をそちらに付け替えるということを行っています。


まとめとしては、日本橋と同様町人地に由来する開発のネックを抱えている銀座はさらに「銀座ルール」の存在もあって日本橋以上に大規模な開発が難しいエリアとなっていました。しかし森ビルがGINZA SIXの開発でやり遂げてみせたように、複数の街区を一つにまとめたうえでの開発が今後もひょっとしたら続くかもしれません。




以上で巡検の報告は終わらせていただきます。ここで述べた以外にも様々なディベロッパーが存在し、ナビゲーターの方もそれらについて1つ1つ丁寧に解説して下さいました。より詳細な解説を見てみたい方は、下にリンクを貼ってあるファイルを参照ください。巡検で用いられたレジュメも併せて公開いたします。なおディベロッパーの解説はナビゲーターの方の主観も一部入っていることに留意して読んでいただければと思います。

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