こんにちは、2年の澤橋です。
投稿が遅れてしまいましたが、4月27日に行われた大森・羽田巡検で僕がナビゲーターを務めた大森パートの報告をさせていただきます。このような形でのブログ投稿は初めてなので何かと不安が付き纏います…
今回は、律令時代に起源を有する古代東海道のルートの一部とされる池上通りを中心に歩きながら幾つかの歴史的な寺社等を訪れました。
巡検は、12時半頃からJR大森駅でスタート。天候にも恵まれ、上級生含め30人を超える大所帯での移動となりました。
最初に訪れたのは神仏習合の名残である、寺院の奥に神社の鳥居があるという合体構造を残す山王の熊野神社&善慶寺です。善慶寺の境内には、年貢減免を直訴しようとした新井宿義民六人衆墓がありました。
その後は山王の高級住宅街と池上通りの間を縫って坂の多い道を移動。次に着いたのが、大正末〜昭和初期を中心に様々な作家や芸術家が居住したことからその呼び名が付いた「馬込文士村」(現在の大田区馬込・山王とその周辺地域)を紹介したレリーフです。今回の巡検では時間の都合上そうした作家や芸術家の邸宅を訪れることはできませんでしたが、この地域の持つ文化の薫りを感じていただけたのではないでしょうか。
次はそのレリーフのすぐ上にある天祖神社を訪れました。天祖神社自体は天照大神を祀るために各地に作られたものであり、この大森特有のものではないとのこと。
続いて、池上通り沿いを歩きながら辿り着いたのが中世道路遺構跡。残念ながらこの道路跡自体は建物の下で見えなくなっており、現地には立て札が一本立っているだけでした。
途中、現地の住民に聞いてもその存在理由がよくわからないガードレールのようなものを発見。この形、お役所の方によるこだわりか何かでしょうか…
最後に訪れたのがこの大森パートのメインディッシュたる大森貝塚遺跡庭園。歴史の教科書で知った人も多いのではないかと。自分たちで遺跡跡や石碑等を見に行ってもらうために、ここでトイレ休憩も含めた15分ほどの自由行動の時間を取りました。ちなみに今回の巡検、「大森・羽田」と銘打ってあることから大田区を中心に周るように思えますが、実はこの大森貝塚は品川区管轄。無念。
その後は、池上通りを遡りながら大森駅へと戻って来ました。ここで大森パートは終了、蒲田を経由しながら羽田へと移動していきます。(続く)
投稿が遅れてしまいましたが、4月27日に行われた大森・羽田巡検で僕がナビゲーターを務めた大森パートの報告をさせていただきます。このような形でのブログ投稿は初めてなので何かと不安が付き纏います…
今回は、律令時代に起源を有する古代東海道のルートの一部とされる池上通りを中心に歩きながら幾つかの歴史的な寺社等を訪れました。
巡検は、12時半頃からJR大森駅でスタート。天候にも恵まれ、上級生含め30人を超える大所帯での移動となりました。
最初に訪れたのは神仏習合の名残である、寺院の奥に神社の鳥居があるという合体構造を残す山王の熊野神社&善慶寺です。善慶寺の境内には、年貢減免を直訴しようとした新井宿義民六人衆墓がありました。
その後は山王の高級住宅街と池上通りの間を縫って坂の多い道を移動。次に着いたのが、大正末〜昭和初期を中心に様々な作家や芸術家が居住したことからその呼び名が付いた「馬込文士村」(現在の大田区馬込・山王とその周辺地域)を紹介したレリーフです。今回の巡検では時間の都合上そうした作家や芸術家の邸宅を訪れることはできませんでしたが、この地域の持つ文化の薫りを感じていただけたのではないでしょうか。
次はそのレリーフのすぐ上にある天祖神社を訪れました。天祖神社自体は天照大神を祀るために各地に作られたものであり、この大森特有のものではないとのこと。
続いて、池上通り沿いを歩きながら辿り着いたのが中世道路遺構跡。残念ながらこの道路跡自体は建物の下で見えなくなっており、現地には立て札が一本立っているだけでした。
途中、現地の住民に聞いてもその存在理由がよくわからないガードレールのようなものを発見。この形、お役所の方によるこだわりか何かでしょうか…
最後に訪れたのがこの大森パートのメインディッシュたる大森貝塚遺跡庭園。歴史の教科書で知った人も多いのではないかと。自分たちで遺跡跡や石碑等を見に行ってもらうために、ここでトイレ休憩も含めた15分ほどの自由行動の時間を取りました。ちなみに今回の巡検、「大森・羽田」と銘打ってあることから大田区を中心に周るように思えますが、実はこの大森貝塚は品川区管轄。無念。
その後は、池上通りを遡りながら大森駅へと戻って来ました。ここで大森パートは終了、蒲田を経由しながら羽田へと移動していきます。(続く)






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