どうもこんにちは。誰が言ったでもなく、海が似合う男ことやまざき(埼玉出身)です。
今更ながら赤羽・浮間巡検の記事を書こうかと思います。
(日付設定をいじっているだけで、これを書いているのは10/3・・・笑)
ところで、(4月に行われたはずの)羽田巡検の記事が7月にアップされた件で、(以降の巡検の記事の更新が詰まってるから)早く書いてよ~、とせかした張本人がこのざまです。N氏にはこの場を借りてお詫び申し上げます(笑)
さて、この巡検は本来6/8に行われるはずでしたが、雨天中止(の判断を下した結果、翌日には雨が一滴も降らなかったという事故)のため、6/28に順延されてしまいました。
そして順延した結果・・・
6/28、13:30。予報は曇り。
しかし、本蓮沼駅に集合した面々をご丁寧にも大粒の雨が迎えてくださいました。
もう天気予報は信じません。地理研のどなたかで気象予報士の免許を取り、地理研専属のお天気おにいさんorおねえさんになってくれる方を募集しています。ほら、地理って結構天気関係あるじゃん。
さて本題をば。
傘の花咲き乱れる中、一行がまず向かったのは、西が丘サッカー場&国立スポーツ科学センター・ナショナルトレーニングセンター。なぜ住宅地の中にこんな国営の大きな施設が存在するのか?
そのカギを解くキーワードが・・・王子巡検のなかでも何回も出てきた「軍」です。
北区一帯には旧陸軍関連の施設が多かったのですが、ここも然りなのです。
上:戦時中の地図。(軍用地は機密情報たるゆえ、空白となっている。
右:現在の航空写真(Yahoo地図より引用、注釈は山崎が記入)
現在、西が丘サッカー場をはじめ、スポーツ施設が集住しているあたりは、戦前の地図でいう「稲付出井頭」の部分で、ここには旧陸軍兵器補給廠(補給廠というのは、製造された武器や弾薬の集積、軍隊への補給を行ったところ)がありました。米軍による接収を経て、1960年代後半の返還後、国立西が丘競技場・体育館として整備されました。
更に、2000年前後の国のスポーツ競争力強化政策によってナショナルトレーニングセンター(NTC)、国立スポーツ科学センター(JISS)が併設して建てられました。
続いて向かったのは赤羽自然観察公園。ここもかつて兵器補給廠の一部で、戦前の地図だと「稲付庚塚町」のあたりですが、ここは米軍の接収後も民間開放されず、つい20年前までは自衛隊の駐屯地がありました。
ここは武蔵野台地の中にある谷にあたり、谷を開析した川はもうなくなってしまいましたが、現在でも湧水はわき出ています。この湧水を中心に、軍用地として改変された自然を修復、本来の自然を取り戻すべく現在も取り組みが続いています。周囲の喧騒が信じられないくらい自然豊かな場所です。
軍隊の立地とともに市街化が進んだこの周辺ですが、かつては谷地型水田が栄えており、現在も復元された田んぼが公園内に保全されています。
公園内の坂道をせっかく駆け降りたのに、再び急階段を上り、今度は赤羽台団地に向かいます。
赤羽台団地は、戦前の地図では「赤羽町四丁目」付近、かつて陸軍の被服本廠があり、米軍接収時には米兵住宅として使われていた用地です。
蛇足なんですが、高度成長期に建てられた団地って、すごく坂道が多いんですよね。かの有名な多摩ニュータウンもそうなんですが。
台地は、低地に比べて水利が悪かった分、開発が遅れて、広大な土地が残っていた、というのが大きな理由なわけなんですが。
いわゆる団塊の世代が働き盛りの時は別にこれでよかったんですよね。台地上は安いし見晴らしは良いし。でもいまや・・・そう、高齢化。団塊の世代は体力の衰えに苛まれてしまいます。坂道の多い団地、そして五階くらいまで平気でエレベーターのない集合住宅。
ニュータウンの入居形態として一番一般的なのは、働き盛りの両親と子供、ってパターンなんですが、子供は独立しニュータウンを離れ、両親世代も高齢化を迎え、古くなった「ニュー」タウンでの生活は困難を極め・・・こうして夢の暮らしとも言われていたニュータウンは、現在では各地で衰退の一途をたどっています・・・。
でもそんな話、赤羽台団地には無縁なのかもしれません。住宅公団の系譜を引くUR都市機構が、ヌーヴェル赤羽台という、外見も綺麗でエレベーター等も完備の、最新の団地を次々と建てています。
人を引き付けるのはきれいな建物だけではありません。団地の中にも簡易版ながら生活に困らないだけの商店街(?)があります。
しかしながら忘れちゃいけないのが、ここはかつての軍用地。しれっとこんな看板があったりもします。
さて、赤羽台団地をさらっと観察し終えた我々が次に向かったのは、赤羽緑道公園。赤羽自然観察公園から、細長~く敷地が続いているのがそれなのですが・・・・これも軍と深い関係が。
実はここは軍用線の跡なのです。
赤羽台の旧軍用地跡から、この公園をたどっていくと・・・そう、延長線上に東北本線があります。
(YAHOO地図より)
在りし日の姿は以下のような感じ。
戦後の米軍接収後もしばらくは引き込み線として使われていましたが、レールが撤去されたのちはずっと放置(一部は駐車場などに転用)。しかし、1990年代前半に北区の整備によって公園として生まれ変わりました。
しかし今でも、軍用線跡と東北本線の合流部付近には境界杭(国鉄/JRの敷地を示すもの)があります。
ちなみに、この赤羽緑道公園、もとい軍用線跡は、地形的には谷になっていて、両サイドを崖に挟まれています。道路(上の地図にもしるされている都道)によって分断された公園敷地を結ぶ歩道橋の上から見てみると、両側からの道路が歩道橋に向かって下りになっています。
これも、赤羽自然観察公園内に見られた谷と同様、古東京川に向かって流れ込んでいた小河川が開析したものだと考えられています。
谷を下って再び低地に・・・と息つく間もなくまた上り坂へ誘う鬼ナビゲーター。
坂を上った上にある赤羽八幡神社、武蔵野台地が半島のように突き出した部分、ここが本当の本当に台地の端っこです!
しかもここでは、なんと神社の下を、新幹線と埼京線の赤羽台トンネルがぶち抜いています。
経緯を書くと長くなるので・・・興味があればWikipediaの赤羽台トンネルってページを読んでみてください。
もちろんこの掟破りともいえる工事には反対の声も大きかったわけですが・・・“神社の下を走る新幹線”と、各種メディアに取り上げるようになり、今では神社側としても大々的にアピールしているようです。(赤羽八幡神社:http://ak8mans.com/ 神社の歴史と絡め、すごくポジティブにとらえていて面白いです。)
そして今度こそ・・・沖積低地に足を踏み入れた我々は・・・
と続けると本当に長くなるので・・・巡検のテーマの一つ、台地と旧軍用地の利用(赤羽台エリア)というテーマが終わるこの辺で一旦筆をおいて、第二編“荒ぶる川と人々の営み” (岩淵&浮間エリア)はまたの機会に更新することにします。なるべく早いうちに書くように頑張ります(笑)
今更ながら赤羽・浮間巡検の記事を書こうかと思います。
(日付設定をいじっているだけで、これを書いているのは10/3・・・笑)
ところで、(4月に行われたはずの)羽田巡検の記事が7月にアップされた件で、(以降の巡検の記事の更新が詰まってるから)早く書いてよ~、とせかした張本人がこのざまです。N氏にはこの場を借りてお詫び申し上げます(笑)
さて、この巡検は本来6/8に行われるはずでしたが、雨天中止(の判断を下した結果、翌日には雨が一滴も降らなかったという事故)のため、6/28に順延されてしまいました。
そして順延した結果・・・
6/28、13:30。予報は曇り。
しかし、本蓮沼駅に集合した面々をご丁寧にも大粒の雨が迎えてくださいました。
もう天気予報は信じません。地理研のどなたかで気象予報士の免許を取り、地理研専属のお天気おにいさんorおねえさんになってくれる方を募集しています。ほら、地理って結構天気関係あるじゃん。
さて本題をば。
傘の花咲き乱れる中、一行がまず向かったのは、西が丘サッカー場&国立スポーツ科学センター・ナショナルトレーニングセンター。なぜ住宅地の中にこんな国営の大きな施設が存在するのか?
そのカギを解くキーワードが・・・王子巡検のなかでも何回も出てきた「軍」です。
北区一帯には旧陸軍関連の施設が多かったのですが、ここも然りなのです。
上:戦時中の地図。(軍用地は機密情報たるゆえ、空白となっている。
右:現在の航空写真(Yahoo地図より引用、注釈は山崎が記入)
現在、西が丘サッカー場をはじめ、スポーツ施設が集住しているあたりは、戦前の地図でいう「稲付出井頭」の部分で、ここには旧陸軍兵器補給廠(補給廠というのは、製造された武器や弾薬の集積、軍隊への補給を行ったところ)がありました。米軍による接収を経て、1960年代後半の返還後、国立西が丘競技場・体育館として整備されました。
更に、2000年前後の国のスポーツ競争力強化政策によってナショナルトレーニングセンター(NTC)、国立スポーツ科学センター(JISS)が併設して建てられました。
続いて向かったのは赤羽自然観察公園。ここもかつて兵器補給廠の一部で、戦前の地図だと「稲付庚塚町」のあたりですが、ここは米軍の接収後も民間開放されず、つい20年前までは自衛隊の駐屯地がありました。
ここは武蔵野台地の中にある谷にあたり、谷を開析した川はもうなくなってしまいましたが、現在でも湧水はわき出ています。この湧水を中心に、軍用地として改変された自然を修復、本来の自然を取り戻すべく現在も取り組みが続いています。周囲の喧騒が信じられないくらい自然豊かな場所です。
軍隊の立地とともに市街化が進んだこの周辺ですが、かつては谷地型水田が栄えており、現在も復元された田んぼが公園内に保全されています。
公園内の坂道をせっかく駆け降りたのに、再び急階段を上り、今度は赤羽台団地に向かいます。
赤羽台団地は、戦前の地図では「赤羽町四丁目」付近、かつて陸軍の被服本廠があり、米軍接収時には米兵住宅として使われていた用地です。
蛇足なんですが、高度成長期に建てられた団地って、すごく坂道が多いんですよね。かの有名な多摩ニュータウンもそうなんですが。
台地は、低地に比べて水利が悪かった分、開発が遅れて、広大な土地が残っていた、というのが大きな理由なわけなんですが。
いわゆる団塊の世代が働き盛りの時は別にこれでよかったんですよね。台地上は安いし見晴らしは良いし。でもいまや・・・そう、高齢化。団塊の世代は体力の衰えに苛まれてしまいます。坂道の多い団地、そして五階くらいまで平気でエレベーターのない集合住宅。
ニュータウンの入居形態として一番一般的なのは、働き盛りの両親と子供、ってパターンなんですが、子供は独立しニュータウンを離れ、両親世代も高齢化を迎え、古くなった「ニュー」タウンでの生活は困難を極め・・・こうして夢の暮らしとも言われていたニュータウンは、現在では各地で衰退の一途をたどっています・・・。
でもそんな話、赤羽台団地には無縁なのかもしれません。住宅公団の系譜を引くUR都市機構が、ヌーヴェル赤羽台という、外見も綺麗でエレベーター等も完備の、最新の団地を次々と建てています。
人を引き付けるのはきれいな建物だけではありません。団地の中にも簡易版ながら生活に困らないだけの商店街(?)があります。
しかしながら忘れちゃいけないのが、ここはかつての軍用地。しれっとこんな看板があったりもします。
さて、赤羽台団地をさらっと観察し終えた我々が次に向かったのは、赤羽緑道公園。赤羽自然観察公園から、細長~く敷地が続いているのがそれなのですが・・・・これも軍と深い関係が。
実はここは軍用線の跡なのです。
赤羽台の旧軍用地跡から、この公園をたどっていくと・・・そう、延長線上に東北本線があります。
(YAHOO地図より)
在りし日の姿は以下のような感じ。
戦後の米軍接収後もしばらくは引き込み線として使われていましたが、レールが撤去されたのちはずっと放置(一部は駐車場などに転用)。しかし、1990年代前半に北区の整備によって公園として生まれ変わりました。
しかし今でも、軍用線跡と東北本線の合流部付近には境界杭(国鉄/JRの敷地を示すもの)があります。
ちなみに、この赤羽緑道公園、もとい軍用線跡は、地形的には谷になっていて、両サイドを崖に挟まれています。道路(上の地図にもしるされている都道)によって分断された公園敷地を結ぶ歩道橋の上から見てみると、両側からの道路が歩道橋に向かって下りになっています。
これも、赤羽自然観察公園内に見られた谷と同様、古東京川に向かって流れ込んでいた小河川が開析したものだと考えられています。
谷を下って再び低地に・・・と息つく間もなくまた上り坂へ誘う鬼ナビゲーター。
坂を上った上にある赤羽八幡神社、武蔵野台地が半島のように突き出した部分、ここが本当の本当に台地の端っこです!
しかもここでは、なんと神社の下を、新幹線と埼京線の赤羽台トンネルがぶち抜いています。
経緯を書くと長くなるので・・・興味があればWikipediaの赤羽台トンネルってページを読んでみてください。
もちろんこの掟破りともいえる工事には反対の声も大きかったわけですが・・・“神社の下を走る新幹線”と、各種メディアに取り上げるようになり、今では神社側としても大々的にアピールしているようです。(赤羽八幡神社:http://ak8mans.com/ 神社の歴史と絡め、すごくポジティブにとらえていて面白いです。)
そして今度こそ・・・沖積低地に足を踏み入れた我々は・・・
と続けると本当に長くなるので・・・巡検のテーマの一つ、台地と旧軍用地の利用(赤羽台エリア)というテーマが終わるこの辺で一旦筆をおいて、第二編“荒ぶる川と人々の営み” (岩淵&浮間エリア)はまたの機会に更新することにします。なるべく早いうちに書くように頑張ります(笑)



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