こんにちは。
2月17日、渋谷巡検リバイバルを行いました。先日の文京巡検と同様、本巡検も2014年10月に行われた渋谷巡検をもとに行われたものです。あれからもう1年半経ったのか...
お昼過ぎ、参宮橋からスタートです。
小田急線に沿って歩いていきますが、既にそこは地理スポット。
そう、童謡「春の小川」のモデルとなった、河骨川の暗渠が流れているのです。
以前の巡検でも触れられていましたが、軍事施設のような広大な土地は、戦後、大規模開発され、大型施設が建てられやすいのですが、ここもその一例です。
そのまま南へ進むと、やがて河骨川は宇田川と合流します。2本の川に挟まれた台地の上にあるのが代々木八幡宮です。
1212年からこの地にある代々木八幡宮。高台上の近くからは縄文時代の遺跡も出土しています。
渋谷における遺跡の出土は高台に限られ、低い土地からはほとんど見られません。これは、渋谷の谷が、かつては湿地で住みにくい地域あったことを物語っています。
この一体は富ヶ谷と呼ばれる地域で、新聞の首相動静にもその名を轟かせる高級住宅街です。
私たちはここから東へ、宇田川の流路へと進路を変えます。
宇田川も暗渠化されましたが、いまもその地上は道路として渋谷の谷底まで続いてます。
| (護岸の跡) |
宇田川沿いにはかつてクリーニング工場や染物屋、銭湯などが多く立地していました。大量の水が得られることを生かしたのです。現在も大手クリーニング社の本社があります。
ここはは明治5年に佐賀藩鍋島家の所有地となり、士族授産の目的で狭山茶を移植して茶畑「松濤園」が開かれました。東海道本線開通後は静岡茶などの東京への流入で経営不振に陥り、茶畑は果樹園、宅地、児童遊園に転用されました
同じく谷筋に位置する神泉町と円山町は湧水が多く、江戸時代より村営の共同浴場「弘法湯」が立地するなど、温泉街として、また宿場町としての機能も果たしていました。明治以降は料亭や芸妓屋が立地し、花街として代々木練兵場からの客を集めました。
ようやく谷底に到着。渋谷駅があります。
1885年の開業から駅の機能は拡大を続け、現在では多社多数の路線が乗り入れる大ターミナルです。
| (駅周辺の再開発が進んでいます) |
かつて宇田川が合流していた渋谷川は渋谷駅の南から開渠となります。この水は落合の処理場で処理された水が流れます。現在再開発により、テラスなど親水施設が計画されています。
日も暮れてきましたが、今度は渋谷川に沿って北上します。
その途中、宮下公園を通過。NIKEがネーミングライツを取得したものの、反対の声があがり、「みやしたこうえん」として再オープン。公共空間が資本によって私有化される、現代社会の問題を感じることができました。
そして渋谷川の蓋の上、キャットストリートを練り歩きながら表参道へ。
明治神宮の参道として整備されました。なんと当時からこの広さです。
戦後に近くにワシントンハイツが建設されたことから、外国の雰囲気があふれる個性的な商店街へと変貌しました。
西に進み、原宿駅に到着。ここで解散!
いつもとは違う視点で「渋谷」を感じることができたでしょうか。
地理学の楽しさが少しでも伝われば幸いです。ではでは。

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